<ソフトバンク0-6日本ハム>◇24日◇福岡ヤフードーム

 ソフトバンク小久保裕紀内野手(40)が、王手をかけてから33日目に史上41人目の2000安打を達成した。日本ハム9回戦(福岡ヤフードーム)の4回2死一塁から、ウルフの初球を中前へ運んだ。93年ドラフト2位でダイエーに入団し、プロ19年目。5月22日に王手をかけたものの、腰椎椎間板ヘルニアで登録抹消となり、この日が1カ月ぶりの復帰戦だった。03年に1年間全休など8度の手術を「あきらめない才能」で乗り越え「一瞬に生きる」を座右の銘にする男らしい達成だった。

 胸がグンと熱を帯びた。一塁まで花束を持ってきた秋山監督に「長かったなあ」と声をかけられ、小久保の目が潤んだ。奥歯にグッと力を入れ、涙の洪水だけは阻止。今年から始めたマウスピースが意外な形で役立った。「ウルウルきてた。あれだけ(歓声が)バアッとなったのが伝わってね」。特別な者だけが許される、試合を止めてのセレモニーに2分間だけ酔った。

 1カ月のブランクを挟んだ復帰初戦。その第2打席に力強い踏み込みから中前へ。「三塁線ツーベース、左中間ツーベース、サード内野安打」と3度見た予知夢とは違った。ただ、自らを象徴する“難産”だった。王手をかけた5月22日広島戦で椎間板ヘルニアを発症し、同25日に出場選手登録を外れた。偉業寸前で訪れたけがを「オレらしい」と笑い、心配する周囲からのメールに「人生、波瀾(はらん)万丈、どんと来い」と返した。逆境で前を向き、強くなるのが、小久保という人間だ。

 手術は8度。けがの波状攻撃を乗り越えてきた。代表的なのは03年3月6日、西武とのオープン戦での右膝靱帯(じんたい)断裂だ。手術を受け、米国で孤独なリハビリを過ごした。選手生命の危機から1年がかりでよみがえった。

 全盛期に1年間のブランクを挟んで2000安打を達成した希少な選手。技術はもちろんのこと、小久保最大の武器は「あきらめない才能」に尽きる。練習、リハビリに妥協がない。「逆境の時こそ生きざまの見せどころ」。今回も地味なリハビリをこなし復活、大台にたどり着いた。

 昨年12月。長年神経を圧迫し、苦しめられた首の骨を削った。8度目の手術は縁あって地元・和歌山。偶然にも7階の病室から自分の原点が見えた。「夕方、あそこを毎日3往復走ったなあ」。万葉集にも詠まれ、夕日で金色に輝く和歌浦の松林が広がった。そこから紀三井寺の石段231段を2往復。「終わると、おかんにまずいカルシウムのスープを飲まされて」。顎を上げて走った少年時代を目の底によみがえらせ、プロ19年目を戦ってきた。

 あきらめない才能を支える哲学は「一瞬に生きる」にある。02年オフの山ごもりでたどり着いた境地で、帽子のひさしにある「前後裁断」も今を真剣に生きるという同じ意味。その生きざまを王監督は07年、小久保のホークス復帰時に毛筆で「侍」と書いた。今、実家の壁にかかる。8本の切り傷を受け、はい上がった侍だ。その横にはダイエー入団時の監督だった故根本陸夫氏の力書「球

 終わりなき旅」がある。「練習で背骨がバキバキ鳴るまで振れという、王監督の教えがあってこそ、ここまで来られたと思う」。2000本までの旅をそう振り返った。

 20年連続Bクラスの暗黒時代を知り、96年、移動バスを取り囲まれる「生卵事件」を体験した現役唯一の生き残り。「今のチームに入団していたら絶対にレギュラーなんて無理」と、常勝軍団への変遷を肌で感じてきた。今年で41歳。髪に白いものも増えた。「レギュラー取れなくなったらやめるよ」と、最近は引退の2文字が口をついて出る。それでも控えに追いやられず、主将として踏ん張っている。

 試合後、選手全員に集まってもらい、打者・小久保として頭を下げた。「個人的な記録で騒がせてしまった。勝利に集中できたかというと、僕のヒットのことだけを考えた時期もあった」。そして主将・小久保として号令をかけた。「もうここからは連続日本一を考えてやろう!」。新たな気持ちで戦いの舞台に立つ。【押谷謙爾】

 ◆小久保裕紀(こくぼ・ひろき)1971年(昭46)10月8日、和歌山県生まれ。星林-青学大。92年バルセロナ五輪で銅メダル。93年ドラフト2位でダイエー入団。2年目の95年に28本塁打で本塁打王。97年に打点王。99、00年のリーグ連覇に貢献。03年オープン戦で右膝を負傷し、1年間出場できず。同年オフ、異例の無償トレードで巨人移籍。FAで07年にソフトバンク復帰。11年日本シリーズで40歳1カ月の史上最年長MVP。182センチ、87キロ。右投げ右打ち。今季推定年俸3億円。

 ▼小久保が24日の日本ハム9回戦(ヤフードーム)の4回、ウルフから中前打を放ってプロ野球41人目の通算2000安打を達成した。初安打は94年4月10日のオリックス2回戦(神戸)で野田から。40歳8カ月での到達は宮本41歳5カ月、落合41歳4カ月に次いで3番目の年長記録。小久保が1999本目を打ったのは5月22日広島戦。王手から33日目での達成は、80年柴田(巨人)の9日目を大幅に上回り最も時間がかかった。02年に通算1000安打を記録した小久保だが、翌年は右膝を故障して1軍出場なし。プロ初安打を記録後、2000安打達成までに1軍不出場のシーズンがあるのは秋山と小久保だけ。高卒1年目に初安打を放った秋山は2、3年目が不出場で、故障で1年間不出場の選手が達成は初めてのケースだ。