<巨人6-4ヤクルト>◇21日◇東京ドーム

 ガッツポーズをする間もなく、巨人西村健太朗投手(27)にみんなが駆け寄ってきた。前日、原監督から胴上げ投手に指名され「寝られませんねぇ」と高ぶっていた。阿部が一塁走者を刺し優勝が決まった。「緊張であんまり、覚えてないんですが」。巨人優勝を締めくくったのは紛れもなく健太朗だった。

 頼もしい抑えになった。転機を問われれば「3年前、原監督が僕を1度リセットしてくれた。だから今がある」と即答する。09年6月、右肘を手術した。

 入団からガムシャラに投げてきた。監督から「ウチの鉄人」と評された。でも限界だった。6月の右肘手術は「今季絶望」を意味した。治療しながらシーズン終了を待つのが一般的だが、ごまかしながら投げるのも不本意だった。勇気を出して監督に相談した。

 思慮深い西村の、初めての訴えだった。勇気が原監督に響いた。「望むなら、すぐ手術しなさい。悔いの残らない判断をしなさい。待ってるから」と諭された。西村は「翌年の開幕から心配もなく投げることができた。もちろん今も。忘れられませんね」と、恩返しの一心で腕を振ってきた。

 気が付けば30セーブに届き、リーグトップに並んだ。「ひそかに数えていた」連続無失点試合の球団記録も、26まで伸びた。「師匠も経験ない胴上げ投手になるなんて…。セーブ数も、挑戦していいですかね」と、上原浩治(現レンジャーズ)が持つ日本人セーブ数の球団記録、32を見た。

 開幕から抑えを任されても、上原に連絡できずにいた。しばらくしてメールすると「もう知ってるわ。早く連絡しろ。頑張れよ」と叱られた。「『優勝できました。ありがとうございます』。今度はすぐ伝えます」。不器用でも、そのひたむきさでゆっくりと、周囲を認めさせてきた。

 2アウトになると「西村コール」が包んだ。9年目で歓喜の真ん中へ。野球人としてこの上ないご褒美が待っていた。【宮下敬至】