<コナミ日本シリーズ2012:巨人4-3日本ハム>◇第6戦◇3日◇東京ドーム

 栗山日本ハムが、終戦を迎えた。対戦成績2勝3敗と後がなくなって迎えた第6戦(東京ドーム)。6回2死一、三塁から4番中田翔内野手(23)が左翼席へシリーズ1号3ランを放って同点に追いついたが、7回に勝ち越されて惜敗した。1年前の「11・3」は、栗山英樹監督(51)が球団からの監督就任要請を正式受諾した日。1年間の思いを凝縮し、最後まで積極采配を振るったが、チーム6年ぶり、新人監督9人目の日本一はならなかった。巨人のシリーズ制覇は3年ぶり22度目。

 敵将・巨人原監督の胴上げを、栗山監督は腕組みをしたまま、ジッと見つめた。その目を、そらすことはなかった。悔しさを、胸に刻み込んだ。「こんなに悔しい思いは何十年ぶり。こんなに申し訳ないと思うのも久しぶり。なぜ、あそこで自分が舞ってないのかなぁ、と。ウチの選手は勝てる選手たちだったから。申し訳ない」。試合後、指揮官の目には涙がたまった。

 王手をかけられた瀬戸際で、栗山流の積極采配はさらに際立った。「最後ピッチャーが足りなくなったら、オレの責任」。攻め続ける姿勢を、コーチには戦前から伝えていた。3点を先行された2回、先発・武田勝の第1打席から代打を起用。投手を1度も打席に立たせることなく、5人の継投で接戦に持ち込んだ。「必死だった」。9回2死からは最後の野手だった鶴岡も使い切り、文字通りチーム一丸でぶつかった。「もう1日やりたかった。選手に無理をさせて、勝たせてあげられなかった。自分の責任」。選手をねぎらい、自分を責めた。

 名将として尊敬し、自らが背番号80をつける理由でもある故三原脩氏の戦術は、勉強し尽くした。だが、どうしても伝わってこないのが、実際の人間性だった。ほれ込んだ名将のすべてを知るため、同氏を養父に持つ中西太氏の元を直接訪問して、どんな生活を送っていたのかを尋ねたこともある。監督業は、グラウンド内での采配や指導だけではなく、人間としての資質も問われると自覚していた。だからこそ、すべてをチームのためにささげてきた。

 クライマックスシリーズ・ファイナルステージが始まる直前、栗山監督は丁寧に「辞表」をしたためた。日本シリーズの間も、それは監督室の引き出しに締まってあった。「日本一を目指してやっているんだから、当然」。今後、提出するつもりでいる。もちろん球団は続投方針を固めているが、信念は監督就任時から変わっていない。「歴史をつくるのは勝者だけ。敗者は美談にしかならない」。頂点に立つこと、それがすべてだと思ってやってきた。

 2011年11月3日、正式に監督就任要請を受諾した。ちょうど1年。「こんな1年はなかった。学ぶことが多かった。(終わったら)出がらしになって何も残らないかと思っていたけど、悔しさで来年のことを考えている。この悔しさは、ものすごいエネルギーになる」。指導者経験のまったくなかった異例の新人監督。その挑戦は、“宿題”を残して終わった。12年11月3日も、一生忘れない1日になった。そして、次の1年のスタートになった。【本間翼】