<阪神0-1中日>◇7月31日◇甲子園

 2年目の中日西川健太郎投手(20)が甲子園を震えさせる投球でプロ初勝利を手にした。三塁ベンチでゲームセットの瞬間を見守ると、ふう~とひと息。昨季から5度目の先発でようやく手にしたウイニングボール。荒木が投げたボールを大事そうにキャッチした。

 「ストライク先行だけを考えた。(勝利球は)母親が来てるんでプレゼントしたい」

 大記録の達成さえ予感させた。1回から低めを意識した投球で、打者3人をフライアウト。その後もゼロ行進を続けた。それも得点欄ではなく、安打欄だ。甲子園がざわつき始めた7回2死から鳥谷に四球を与えて完全試合が消滅。続くマートンに中前打を浴びて無安打無得点試合も幻となった。それでも7回1安打無失点と、胸を張れる内容だった。

 一級品と言われながらもプロ初勝利が遠かった。184センチの長身から投げ下ろす直球は、球速表示よりも速く感じる。そんな素材だけでは通用しないのがプロの世界。キャンプ前にはエース吉見に頼んで沖縄自主トレに同行。「一日中、走ってた」という走り込みで、投げる体力を積み重ねていった。

 天国の父親が、甲子園に導いてくれた。星稜中3年の時、父雅幸さん(享年57)が病気で亡くなった。父は大の阪神ファンで勝負強い金本の打撃が大好きだった。昨季9月23日のプロ初先発も甲子園の阪神戦。西川にも特別な場所だった。

 金沢市内でジャズ喫茶を営む母由紀子さん(55)からは「今日はいけそうな気がします。粘って粘って粘りまくって下さい」とメールをもらった。今季4試合目の生観戦だった母の期待にもようやく応えた。

 孫ほど年の離れた西川の好投に高木監督も「今日はそれに尽きる。投げた試合は大体、試合を作っとる」とご満悦だ。この試合で敗れれば、97年以来の借金14となっていた。苦しむチームを、20歳右腕が救った。【桝井聡】

 ◆西川健太郎(にしかわ・けんたろう)1993年(平5)4月18日、石川県生まれ。星稜中では軟式野球部に所属し3年夏にエースとして全国制覇。星稜高に進み1年秋からエース。甲子園出場経験はなし。11年ドラフト2位で入団。184センチ、73キロ。右投げ右打ち。