西武からFA宣言した片岡治大内野手(30)が27日、都内のホテルで巨人と初交渉した。2年3億円の条件提示と、背番号8を用意していることを伝えられた。交渉の中で、原辰徳監督(55)と直接電話で話し「ヤス」と呼びかけられたことに感激。すでに交渉した楽天、オリックスと、西武に断りの連絡を入れた後、12月上旬にも巨人入りが発表される。

 片岡の顔がほころんだ。原監督の印象を聞かれた後だった。「ヤスと言ってくれたので良かった。ヤスと呼んでくれました」。そう繰り返した。親しみを持って呼びかけてくれたことが、何よりもうれしかった。交渉の中、渡された携帯電話から響いてくる声に、気持ちは大きく傾いた。「『ケアをしっかりして自分の実力を出せば、日本を代表する選手だから』と言っていただいた。うれしかったです」。巨人を選ぶ決め手になった。

 原監督とは09年のWBCでともに戦った。「いつも気さくに話してくれた」という。その時から、良好な関係だった。今回、背番号8を提示されたのも、監督の意思が込められてのことだった。子供の頃は、テレビの中で巨人の8番が躍動するのを応援していた。8番のイメージについて聞かれると「原さんがつけてたのを見てましたので、原さんのイメージが強いですね。(巨人の)熱い思いを感じました」。エイトマンを継ぐ覚悟も固まった。

 条件面では楽天やオリックスの方が高かった。それでも巨人愛を貫いた。選んだ理由の1つは、片岡家の悲願だったということ。野球一家で、片岡3兄弟の名声は、3人が学生の頃からとどろいていた。その3人目が治大。今回のFAにあたって、巨人移籍がかなうことを最も願っていたのは、3兄弟を育てた両親だったという。だから、片岡の巨人での活躍は、1つ1つが親孝行にもなる。

 交渉の席では「センターラインを守ってもらいたい」と正二塁手としての期待を聞かされた。それをありがたく受け止めた片岡は「伝統ある球団ですし、勝たなきゃいけない中、試合をしていくのはプレッシャーのかかるチームだと思う」と、巨人の印象を話した。FA権を行使した時に決めたのは、厳しい環境でチャレンジしたいということ。それを貫いて、巨人の一員となる。【竹内智信】

 ◆原監督の直電

 05年オフの宮崎秋季キャンプ中、中日からFAの野口に電話し「ぜひ同じユニホームを着て、同じ目標に向かって戦っていきたい」。西武からFAの豊田にも「ボクの中では来季一緒に戦っている姿を描いてある」と電話で伝え、両者の獲得に成功。同年は横浜入りを希望し、交渉難航が予想されていたドラフト3位栂野にも「一緒にやろう」と指名あいさつ中に直接電話し、入団を促した。11年オフにはソフトバンクからFAの杉内に「悔いがない決断をしてほしい」と伝え、杉内を感激させた。今オフは大竹、井端に電話をしている。<片岡のFA交渉経緯>

 ◆残留交渉(11月1日)西武から1年契約、年俸1億円程度の条件提示。

 ◆FA宣言(7日)FA権行使を表明。「自分の評価をシンプルに聞きたかった。挑戦するなら今」。

 ◆楽天が先陣(17日)楽天・立花球団社長らと約1時間40分も初交渉。3年総額5億円以上を提示されたとみられ「非常にいい評価をしていただきました」と好感触を口にした。星野監督から「将来的に中心選手になる。ぜひ一緒にプレーしたい」とのメッセージも伝えられた。

 ◆オリックスも大型条件(19日)楽天に匹敵する3年5億円以上の複数年契約を提示し、二塁の定位置を確約。瀬戸山本部長は「最大限の誠意をお伝えしました」。片岡は「少し時間をいただき検討させていただきます」と返答。