<巨人4-2ヤクルト>◇20日◇東京ドーム

 巨人初の200人斬り!

 阿部慎之助捕手(35)が2点リードの8回に2戦連発となる技ありの19号ソロを放ち、勝利を決定づけた。本塁打を放った投手は通算200人目で史上8人目の快挙。単一球団所属では初めてで、創設80年を誇る名門に新たな歴史が加わった。メモリアルアーチで3位以内が確定し、8年連続のクライマックスシリーズ(CS)進出が決定。マジックも5に減らし、最短Vは24日の中日戦(ナゴヤドーム)となった。

 節目の200人目は中大の後輩だった。8回2死。中沢の外角138キロ直球を、力感のない滑らかなスイングで打ち返す。打球は左翼席最前列に運ばれた。試合前に律義にあいさつに来た後輩からの1発に「かわいそうだったかな」と苦笑い。だが巨人では王も長嶋も松井も成し遂げられなかった偉業。一筋14年でたどり着いた。

 前夜はドライバーショットのように豪快に右翼席へぶち込み、この日は柔らかなアプローチのように左翼席へ流し込む。無数の引き出しがあるから、さまざまなタイプの投手から本塁打を放ってきた。

 練習中、隠れた引き出しを口にした。秦バッテリーコーチとのキャッチボールで「今日はキャッチャー?

 それともレフトですか?」と笑い、続けた。

 阿部

 国際試合では10試合ぐらいレフトを守ったんですよ。結構、うまいと思う(笑い)。補殺も3回あったし、ダイビングキャッチもできたんですから。

 大学時代からジャパンのユニホームに袖を通し、五輪やWBCも含め、国際試合は通算80試合。修羅場をいろんな持ち場でくぐり、武器を増やしてきた。

 好奇心旺盛だからこそ、阿部という人間にも、いろんな側面が生まれる。キューバ人のセペダの来日前は「チェ・ゲバラに興味があって、いろいろ研究している。少し分かっていれば、いろんな話ができるでしょう?」と同国の歴史的な革命家に関心を示した。キャンプ地の沖縄では、子供にTシャツをデザインしてプレゼント。自分用にも、子供のイニシャルの1文字ずつをTシャツにランダムにちりばめて独創的な一品を製作した。「これ、結構、いけるかも」とデザイナー阿部の一面ものぞかせた。

 1つの節目であるCS進出も決まり、マジックも5に減った。「マジックは5を切るまでは言わないよ」と慎重だった原監督も「現実的な数字になってきた。でも戦い方は変わらない」と、初めて言及。例年は5になっても「2の時だな」と再修正することもあるが、ゴールテープが確実に見えてきた証しでもある。

 多芸な阿部の1発は、9回に追い上げられただけに、価値が増した。阿部も「大きかった」と認めたが、すぐに「全然打てないね。1、2、3打席。お決まりになってきた」と反省に切り替えた。打てば、すべて帳消しではない。この意識の高さも、阿部を200人斬りの高みへと引き上げた、引き出しだった。【広重竜太郎】

 ▼阿部が2試合連続の19号。中沢から初アーチで、阿部が本塁打を打った投手は200人となった。最も多くの投手から本塁打を打ったのはローズ(オリックス)の228人で、200人以上は8人目。巨人では阿部が初めて。阿部は通算346号。10年小笠原(巨人)の366号を抜いて最少本数での「200人斬り」だ。

 ▼8人のうち5人は両リーグでプレー。金本(阪神)ラミレス(DeNA)阿部はセ・リーグだけで達成したが、交流戦のおかげで多くの投手と対戦可能に。通算868本の王(巨人)は183人から。当時は1軍で登板する投手が少なく、1人の投手と数多く対戦。阿部は10本以上が3人、王は平松(大洋)の25本を筆頭に10本以上が27人いた。