巨人原辰徳監督(56)が、ハワイ優勝旅行からの帰国直前に金言を授かった。「大阿闍梨(あじゃり)」である、塩沼亮潤氏(46=宮城県仙台市・慈眼寺住職)が当地で講演を行い、急きょ聴講した。塩沼氏はこれまで2人しかいない、奈良・大峰山(標高1719メートル)での「千日回峰行」と、「食べない、飲まない、寝ない、横にならない」を9日間続ける「四無行」を完遂した。言霊を刻み統率に生かす。

 極上のハワイ土産だった。帰国直前の時間を使い、原監督が東海大ハワイ校に足を運んだ。大阿闍梨の塩沼氏は、ホノルルマラソンに参加するため当地入りしていた。向学心旺盛な原監督は「ぜひ1度」と、飛び入りで講義を聴くことに決めた。

 最前列の中央で背筋を伸ばし、聞き漏らすまいと目を開いた。1719メートルの大峰山を、1000日間も休まず往復する「千日回峰行」。食べない、飲まない、寝ない、横にならないを9日間続ける「四無行」。極限を記した日記が紹介され、のめり込んでいった。

 「52日目。何くそ、これしき。涙と汗を流せば成長する。雨が降ろうと、雲の上は晴れている」

 「190日目。この孤独、つらさ。誰が分かる?

 心震わせる。それが行。答えは自分の中にある」

 「489日目。節々が痛い。行者は、人に希望を与えさせていただく仕事。オレの体調は、誰に知ってもらわなくてもいい」

 「495日目。情熱に灯がともると、恐ろしい力が出る」

 「954日目。困ったときの神頼み」

 「999日目。行じるほど深さを悟り、終わりなし。人生生涯、小僧の心」

 最後は「心を明るく持ち、人を嫌わず思い、初心を忘れず精いっぱい。向き合うことから逃げてはいけない」で終わり質問コーナーへ。原監督は真っ先に挙手し「大阿闍梨さまは、過去に何人おられたのですか」と尋ねた。「私で2人目です」と聞き、うなずいた。

 原監督らしい感想を語った。「喜びの中に修行があった。そこが一番印象に残りました」。生きざま、戦いざまと重なる部分が多かったから響いた。「すてきなプレゼント、本当にありがとうございました」。野球を極める修行が続く。【宮下敬至】

 ◆塩沼亮潤(しおぬま・りょうじゅん)1968年(昭43)3月15日、宮城・仙台市生まれ。高校卒業後、奈良・吉野山の金峯山寺で出家得度。99年に大峯千日回峰行を完遂。翌00年に四無行を満了し、大阿闍梨に。現在は仙台市秋保に慈眼寺を開山し、住職を務める。

 ◆阿闍梨(あじゃり)と大阿闍梨

 密教で修行が一定の段階に達し、灌頂(かんじょう)と呼ばれる儀式を受けた僧。伝法灌頂を授ける資格を持つ位の高い阿闍梨を大阿闍梨という。

 ◆四無行

 「食べない、飲まない、寝ない、横にならない」を9日間続ける。生きるか死ぬかの確率が50%で「生き葬式」とも呼ばれる。心拍数が自然と100近くまで上がる。5日目から1日1回だけうがいを許される。

 ◆千日回峰行

 奈良・吉野山の標高364メートル付近にある金峯山寺蔵王堂から、山上ケ岳の山頂(1719メートル)まで片道約24キロを、5~9月に9年かけて毎日往復する。標高差は約1355メートル。ちなみに、箱根駅伝での山登り(5区、約23キロ)の標高差は約864メートル。午後11時30分に起床し、午前0時30分から登り始めて、午後3時30分に戻り、午後7時に就寝する。普通の登山道ではなく獣道を使う。マムシ、熊など野生動物、台風などの自然も乗り越えなくてはいけない。始めて1カ月半で体の栄養分が不足し、爪が全部割れる。登り初めて3カ月となる梅雨明けのころは、急に気温が上がって、血尿が出る。断念したら、短刀で自ら命を絶たなくてはいけない。