あの伝説の21球が、36年後に語られた-。阪神の沖縄・宜野座キャンプのチーム宿舎で2日、江夏豊臨時コーチ(66=野球解説者)の講演会が行われた。1軍キャンプに参加する投手18人、捕手4人に「江夏塾」を開校。無死満塁を乗り越え、広島に初の日本一をもたらした「江夏の21球」と呼ばれる伝説シーンの心境を、虎戦士に吹き込んだ。

 午後7時。宜野座球場での練習を終えたジャージー姿の22人が席に着いた。視線の先には江夏氏。一番前の席に藤浪が座り、この日練習を途中で切り上げた鶴岡も参加した江夏塾。バッテリー全員が集結し、レジェンド左腕の言葉に耳を傾けた。

 「ピンチのときには開き直るな。『開き直る』ということは『なれ合う』ということ。『抑える』『やれる』という気持ちでなければいけない」

 中西投手コーチから「ピンチを託されたときの心境は?」と質問が投げかけられたときだった。江夏氏は現在も受け継がれる自身の伝説「江夏の21球」での状況を語り出したという。

 そう、江夏氏が広島でプレーしていた36年前の79年日本シリーズ第7戦だ。1点リードで9回裏に。江夏氏は、無死満塁の瀬戸際まで追い込まれるが、勝利に燃えるハートがなえることはなかった。1死から迎えた近鉄石渡への2球目にカーブの握りのままウエストし、スクイズを空振りさせたという逸話も含まれる「江夏の21球」。ピンチに目を背けず、逃げ出すことなく、向かい合った末に、広島初の日本一を呼んだ快投。伝説を生んだ本人が語るとあって、その言葉にも熱い魂が宿る。

 「もっと自信を持ってやれ!」

 質疑応答に選手たちも前のめりで参加した。今年39歳を迎えるベテラン福原、江夏氏の強化指定選手である左腕榎田、正捕手の座を狙う2年目梅野らが何度も手を挙げた。中西投手コーチは「球団創設80周年のいい機会に、レジェンドに来ていただいて、いい刺激になった。私自身も感銘を受けた」と振り返った。誰もが1つ1つの言葉に聞き入った1時間だった。

 このキャンプ、江夏氏が40年ぶりに虎の現場に復帰。悲願のリーグ優勝、日本一へ。江夏魂を胸に、虎戦士が悲願へと突き進む。【宮崎えり子】

 ◆江夏の21球

 3勝3敗で迎えた79年日本シリーズ第7戦(大阪)は、4-3と広島の1点リードで9回裏を迎えた。江夏は、先頭の羽田の初球に、中前打を喫する。次打者アーノルドのとき、代走藤瀬に盗塁を許し、捕手水沼の悪送球も加わり無死三塁。アーノルド四球(代走吹石二盗)、平野敬遠で無死満塁と絶体絶命の場面を招いた。代打佐々木は三振で1死。続く石渡の2球目、広島バッテリーはスクイズを外し、三塁走者藤瀬がタッチアウト。最後は石渡を三振に打ち取り、広島が初の日本一を達成した。9回の攻防を題材に、故山際淳司さんがスポーツ総合誌Number創刊号に「江夏の21球」を掲載。現在でも語り継がれている。