日本ハムから1位指名を受けた早大・斎藤佑樹投手(22=早実)が28日、4年間、寮生活を送った東京・東伏見で、東京6大学秋季リーグ戦と明治神宮大会の優勝を祝う「優勝祝賀東伏見パレード」に参加した。早大のユニホームを着る最後の機会に、沿道には約2000人のファンが集まった。西武1位の大石達也投手(22=福岡大大濠)は欠席したが、広島1位の福井優也投手(22=済美)らと声援に感謝。記念すべきプロ初球は、直球と誓った。

 ポカポカ陽気に恵まれた東伏見で、斎藤が最後となる早大のユニホーム姿を披露した。予定時刻の正午、4年生を中心としたメンバーの先頭に登場。花束を受け取ると、そのままパトカーの先導で、約22分間、沿道の声援に笑顔で応えた。

 地元商店街は、約2000人のファンで埋まった。「4年間、成長させてもらった町。ここからプロの世界に旅立ちますが、東伏見でやってきたことをそのままやりたい。(それは)一生懸命やること。早稲田大学の斎藤佑樹を、いかにプロ野球選手として出せるかだと思う」。自分を貫くことが、成功の秘訣(ひけつ)と自覚している。

 だから、信じたボールを投げる。記念すべきプロ初球は、直球と決めた。「やっぱり真っすぐ。そこが自分の生きる道。それをしっかり投げられないと、変化球が生きてこない」。

 07年4月14日、東大との開幕戦で東京6大学史上80年ぶりの1年生開幕戦勝利を挙げた。1番打者への初球は、外角への140キロ直球だった。1万8000人の観衆が、吸い込まれるように見つめた。それが激動の4年間のスタートだった。ファウルされたボールを、斎藤は今でも思い出の1球に挙げる。

 「大学初球」を「プロ初球」に重ねる。150キロを超える剛速球ではない。切れを重視する生命線を磨けば、スライダー、フォークなどが生きる。大学4年間で繰り返してきたことを、プロでも貫く。

 東伏見に別れを告げ、次の優勝パレードは北の大地で実現させたい。09年の日本ハム優勝時には、札幌市内の大通公園から歓楽街ススキノまで、沿道には11万1000人が集まった。「想像できないです。(東京6大学優勝直後のパレード)高田馬場の時も人がたくさんいたので、あれ以上は想像できないですね」。

 着るユニホームが変わり、住む町も変わる。背番号が変わり、環境が変わっても、4年間積み上げた思いは忘れない。【前田祐輔】