<ノア:福岡大会>◇14日◇博多スターレーン◇2600人

 小橋建太(42)が126発のこん身チョップで、三沢さんを追悼した。14日、福岡市の博多スターレーン大会の6人タッグマッチに出場。60連発を含む合計126発のチョップを放ち、剛腕ラリアットからの体固めで佐野からフォールを奪った。全日本時代からの先輩であり、ライバルであり、腎臓がんの闘病を支えてくれた恩人でもある盟友の死を忘れようとするように、気迫のファイトを見せつけた。

 小橋はチョップを止めようとしなかった。「いくぞー」という絶叫とともに、3冠ヘビー級王者・高山の胸に、剛腕を打ち込み続けた。顔と右腕が真っ赤になった。3分間で104発。高山の顔が、三沢さんの顔に見えたのかもしれない。「もう1度、リングでやるぞ」。乾いた打撃音が天国の三沢さんにそう訴えているようだった。

 ふだん報道陣に真摯(しんし)に対応する小橋が、この日は試合前から沈黙を貫いた。試合前の練習にも姿を見せなかった。断固として三沢さんの死を受け入れたくなかった。「あいつとやると痛いからな」と、三沢さんはずっと小橋のチョップを嫌がっていた。だからいつも以上に強くチョップを打った。もう1度、三沢さんに魂の音を聞いてもらいたかったのかもしれない。

 小橋のプロレス人生は三沢さんとともにあった。4歳年上の先輩だが、全日本時代は3冠王座をかけて数々の名勝負を繰り広げた。田上、川田とともに四天王と呼ばれた。00年にはノアを旗揚げした三沢さんとともに全日本を離脱。GHC王座を争った。三沢さんが最多の3度獲得し、小橋は最多13連続防衛。ライバルとしても切磋琢磨(せっさたくま)した。

 恩人でもあった。06年に腎臓がんの手術を受けた。三沢さんと並ぶ看板エースの長期離脱だったが、三沢さんは「ゆっくりと治せばいい」と気遣い、「彼が復帰するまでオレがやるしかない」とGHC王座を7度防衛した。07年12月の日本武道館での復帰戦では、三沢さんが自ら対戦相手を務めてくれた。その546日ぶりのリングで三沢さんにフォールを奪われたが、手を抜くこともなく「全力ファイト」を貫いてくれたライバルの心意気がうれしかった。

 昨年、ひじの手術を受けて再び離脱したが、今年3月にリングに復帰した。今月8日の八王子大会で下部王座でもあるグローバル・ハードコア・クラウン無差別級王座を獲得。タイトル戦線に弾みをつけていた。そんな中での突然の訃報(ふほう)だった。試合後、小橋は会見場が設けられているにもかかわらず「できない」と一言残して、控室に消えた。【塩谷正人】