新日本の永田裕志は、遠征先の京都で三沢さんの死を知った。帰京する際に訃報を伝えるスポーツ紙の1面を見て、存在の大きさをあらためて実感した。01年ゼロワン旗揚げ戦でタッグ対決するなど、同じ40代選手として接点は多かった。「三沢さんも(試合で自分の)パートナーだった橋本さんも亡くなった。若い。早すぎるよ」と絶句した。