前WBC世界バンタム級王者の長谷川穂積(29=真正)がバンタム級王座陥落の屈辱を乗り越え、2階級王者となった。最愛の母裕美子さん(享年55)が他界。悲しみを乗り越え、再び世界の頂点に立った。長谷川の父で裕美子さんの夫、長谷川大二郎さん(55)が喜びの手記を本紙に寄せた。
もう「ありがとう」だけです。最後は疲れて見えた。異常な汗かいとった。でもねえ…ほんまによう勝ってくれた。バンタム級王座から落ちて、もういっぺんと思って…そしたら、母親が亡くなって…。つらかったなあ。よう乗り越えたなあ。おまえはやっぱり裕美子の子やわ。
性格がね、嫁はんと似とる。顔は私に似とるけど、心は違う。腹が据わっとる。
親孝行な子です。私にも父の日、誕生日にズボンやベルト買ってくれます。でも、わしはイベントの日だけ。裕美子にはしょっちゅうや。「このバッグ、喜ぶやろなあ」とか思ったら、すぐ買ってやっとった。裕美子が亡くなって、遺品を整理するとええ服やら、ごっつい宝石の指輪やらがぎょうさん出てきて。ほとんど、穂積のプレゼントばっかりですわ。それ見てたら「ここまでお母ちゃん子やったんやなあ…」と。でも、それでええんです。当たり前です。おしめ替えてもろて、メシ作ってもろて…。それが一番ですから。
裕美子が亡くなる6日前から1泊2日で、裕美子と1番下の娘と3人で有馬温泉に行ったんです。ものすごくルンルンで食欲もあったのに、帰ってきて、すぐ具合が悪くなって。そんなとき「この週がヤマ」と先生に聞いてきたのも、穂積です。「え?
ワシ、聞いてへんがな」と。ほんま、どこまで強いきずなやねんと思いましたわ。
穂積は5人姉弟の上から2番目、1番上が娘やから長男です。子どもが生まれる前から、最初の男の子の名前は「穂積」と決めてました。私が小さいころから空手教えてもろた先生の名前が「宝積(ほづみ)」。そのままいただくつもりやったんですが「宝」は風呂敷広げすぎと思ってね。ほんで「穂」です。それで良かった。「実るほどこうべを垂れる稲穂かな」ですか?
そのまんまでしょ?
私、23歳でプロボクサーのライセンスなくしましてね。心臓が悪くて、ドクターストップ。あきらめ切れんで、30歳までトレーニング続けました。だから、子どもにボクサーになって欲しかった。男の子3人に恵まれて、でも、ボクシングを教えたんは穂積だけです。「左利きのO型」やったから。サウスポーは絶対に有利、O型は肝据わってる。私の持論です。この条件に合わんかったら、ボクサーにさせんと思ってた。そしたら、穂積だけがうまくはまってくれたんです。
でも、チャンピオンになれた理由は別ですよ。チャンピオンになれる人となれない人の最後の差は、きっと「薄い板」ぐらいやと思う。でも、その板が堅い。それを打ち破れるんは持って生まれたもん、鍛えられへんもんと思うんです。心の強さ。精神力です。
穂積はバンタム級でチャンピオンになって、10回も防衛して、今度はフェザー級でもチャンピオンになった。
裕美子の子やからです。母親似やからです。
裕美子、うれしいなあ。穂積がまたチャンピオンになったで。(長谷川大二郎)