大関豪栄道(30=境川)が、師匠の境川親方(54=元小結両国)との師弟愛を力に悲願の初優勝をつかんだ。九州場所担当部長として2日目から福岡に出張中の同親方から、おかみさんの小林美奈子さんを通じて連日助言をもらい発奮。厳しく、熱い人柄にほれて弟子入りし、激しい稽古で鍛えられた師匠へ、最高の恩返しを果たした。

 異例の“凱旋(がいせん)”だった。初優勝を決めた豪栄道が、東京・足立区の部屋に戻っても、師匠はいなかった。境川親方は、九州場所担当部長として2日目に部屋を出た。この日も福岡で業務をこなし、宿舎で優勝を見届けた。

 親方として初めて、弟子が幕内優勝する可能性が高くても仕事を優先した。「私」より「公」の義理堅い同親方は「つらい思いをしてきたのを間近で見てきたので、良かった。どんな大けがでも言い訳1つしなかった。全体的によく辛抱して取った」と弟子を褒めた。

 場所中に親方が不在になるのは、豪栄道にとって初めて。ただ、師匠はいつも近くにいた。連日、場所から部屋に戻るとおかみさんを通して助言をもらった。勝ち越しを決めた夜、豪栄道が「おかげさまで」と給金報告しようとした電話に、親方は出なかった。連勝中の弟子と会話しない験担ぎにこだわった。そこまで徹底する師匠の思いに、豪栄道も応えたかった。「『自分に自信を持って相撲を取れ』と。その日ごとにアドバイスをもらった」。13日目夜も「自分の相撲を信じて行け」と伝言された。

 2人は、不思議な縁がある。境川親方は03年に姓名判断の女性から、下の名前の秀昭を「豪章と書いてヒデアキと読むのが合う」と言われ改名。「豪という字に縁のある人間が来る」と言われ、2年後入門したのが沢井豪太郎=豪栄道だ。

 「厳しい雰囲気の中、自分も強くなると思った。一緒に喜んだり、悔しがったり、熱い師匠の人柄で入門を決めた」と豪栄道。境川親方は「センスは最初から備わっていた。でも、プロは相撲力を求められる世界。それを伸ばしてやることが自分の仕事だと思った」と振り返る。時には稽古後に、太平洋戦争末期に命を落とした特攻隊員の手紙の朗読CDを流し、愛弟子に大和魂をたたき込んだ。

 現役時代から「勝ってべらべらと話すのは、負けた相手に失礼」と硬派を貫いた境川親方の生きざまは、無駄口をたたかない弟子にも通じる。「自分は結構いいかげんな人間なんですが、愛情を持って接してくれて、本当にありがたいです」と豪栄道は感謝した。引きつけ合うように出会い、ともに努力してきた師弟の夢が、この日かなった。【木村有三】

 ◆境川豪章(さかいがわ・ひであき)元小結両国。本名・小林秀昭。1962年(昭37)7月30日、長崎市生まれ。日大を経て85年春初土俵。87年春新入幕。92年末に引退。年寄「中立」襲名。03年初場所後に「境川」襲名。九州場所担当、巡業部、審判部などを歴任。