胃がんのため亡くなった今いくよさんが組んだ今いくよ・くるよの先輩コンビ、横山やすし・西川きよしとして、上方漫才を引っ張った西川きよし(68)は29日、いくよさんの死に天を仰いだ。

 大阪市内で取材対応し、女性漫才師としての先駆的活動に「人生、重い荷物を背負って、階段上らはったな~」などと話した。

 きよしは故横山やすしさんとのコンビを66年にスタートさせ、80年代漫才ブームよりひとあし早く、60年代演芸ブームでブレークしていた。

 いくよ・くるよは71年にコンビ結成。「お嬢ちゃん」扱いされ、女性漫才師が相手にされなかったことに意地を見せるべく、腕を磨き、上方一流のしゃべくりに成長していった。その過程を見ていたきよしは「重い荷物」と表現。突然の悲報には「会社から連絡を頂いて、嫁はんと2人、言葉になりませんでした」と声を詰まらせた。

 いくよさんは昨年9月、胃がんが判明し、休養。同11月に京都・よしもと祇園花月で復帰。その後、体調を見て、本拠地の大阪・なんばグランド花月にも出演していた。

 NGKで出番が同じだった約2カ月前、きよしは、いくよさんの元気な様子に安心。その後もたびたび、電話をし「調子はどうや」と気づかっていた。ただ、当時、手術はせず、抗がん剤治療を継続したままで、その闘病を知らなかったといい「ほんとに知らなかったので、そりゃあ、もうね…」と言葉を失った。電話でもいつも明るく「気丈なままでした」と話した。

 面倒見の良さで知られたいくよさんは、先輩に対しては気づかい、配慮の人でもあった。中元や暑中見舞い、季節のあいさつのほか、出産や孫の誕生も欠かさなかった。「孫にもお年玉をもらってて、いつ返したらええねん」。唇をかんだきよしは、かつて「いつも『結婚しいや。借り返せへんがな』って言ってたんです」とも口にした。

 先輩きよしからの優しさではあったが、いくよ・くるよとしては、ある意味、発奮材料でもあった。「女やから結婚は、とか、言われるしな」と笑い、何年キャリアを重ねても、修練を絶やさなかった。

 きよしは、そんないくよさんたちの姿を「売れるまでを見ていて、『よかったなあ』と言ってあげられるのは、いくよ・くるよさんぐらいです」と、しんみりした口調で話していた。