シンガー・ソングライター山下達郎(62)が8日深夜、NHK FMの特番「山下達郎、シュガー・ベイブを語る」の中で、13年12月に亡くなった大滝詠一さん(享年65)について「思想、意志を僕の範囲で継げるところは継いでいこう」と語った。

 山下は1975年(昭50)4月25日に、大貫妙子(61)らと組んだバンド「シュガー・ベイブ」のアルバム「SONGS」を、大滝さんが主宰する「ナイアガラレーベル」の第1弾としてリリースしてデビュー。「SONGS」は、山下と大滝さんが共同プロデュースした。その40周年記念盤として、5日に最新リマスター盤「SONGS 40th Anniversary Ultimate Edition」をリリースしたが、その裏には大滝さんへの思いがあったと明かした。

 「実を申しますと、今回の40周年記念盤というのが、果たして本当に必要なのかなということで、ずいぶん考えたんですが。一番の原因は、大滝さんがお亡くなりになりましたので、大滝さんの『ナイアガラ』という発想、意志を、僕なりに、僕の範囲で継げるところは継いでいこうと。『SONGS』と(大滝さんのソロアルバム)『NIAGARA MOON』という75年の活動に関しては、僕が大滝さんと、ほとんどいつも毎日一緒にいてやっていた…いわば音楽のブレーンですので、その部分は、僕が代弁していこうかな、と考えております」

 山下は、73年9月に行われた、大滝さんが所属したバンド「はっぴいえんど」の解散コンサートで、伊藤銀次のバンド「ココナツ・バンク」を率いてのソロプロジェクトを行い、山下がそのバックコーラスを務めたことをきっかけに仲良くなったという。

 「大滝さんは5つ上なんですが1人っ子で、僕も1人っ子。声もよく似ておりますし、何代か前は、どこかで親戚だったんじゃないか…そういうことを思います。私にとっては兄みたいなもの。一昨年、突然に急逝されましたが…」

 山下がNHKの番組でMCとして1人しゃべりするのは、86年3月まで約3年放送された「サウンドストリート」以来、約30年ぶり。自身の今後については「来年は作品を、また出せればなと思っています。6年に1枚くらいのペースでアルバムを出しておりますので(来年は)6年目くらいになりますので、またチャレンジしようかなと考えております」と語った。

 そして自身の音楽観を、切々と語った。

 「22だった自分も62になりました(中略)40年前から自分が思っていることは、ただ1つ。古びない音楽、時代を映さない音楽が自分にとっての目標。いつ作られたか分からない音楽だったら、古びないだろう…と変なことを考え、今でもやっております。スタンスが変わっていないので、そういう考えだと、まだまだできるかな(中略)私の目指していた音楽は、別に人の心をえぐるとか、問題意識を提起するものではなく、ミドル・オブ・ザ・ロード…ポップミュージック。人間が生きること、生の肯定と言いましょうか、人の生きることに奉仕するのが音楽だ、というのが僕の主義、考え方なので、これからも人の幸せに奉仕できるような音楽を作っていければな、と思っております。まだまだ、もうちょっとやりたいことがあったりするので、もう少し作品はできればと思っております、ライブは体が続く限り続けたい。おかげさまで声が続いているし、体力的にも続いている」