希代のキッカーが初キャップを目指す。日本ラグビー協会は10日、6月のカナダ、スコットランドとテストマッチに臨む日本代表候補メンバー43人を発表した。大学生は4人が選出され、SO松田力也(22=帝京大)が初招集された。試合に出場すれば、帝京大の現役選手では初。大学で無敵の強さを誇る同大の司令塔が、世界へ挑戦する。

 代表候補入りはこの日朝9時、帝京大の岩出監督からのメールで知った。同監督から「頑張ってこい」と激励された松田は「ずっと目指してきた場所。素直にうれしい。いい挑戦の機会にしたい」と笑顔で話した。

 帝京大ではキッカーを務める。4月の春季大会の中大戦でも13本のキックをすべて成功させるなど、実力は折り紙つき。FB五郎丸と練習をともにするチャンスも訪れ「どんな蹴り方をしているのかとか、自分から積極的に吸収していきたい」と話した。

 “絶対に負けるな”。亡き父大輔さんの口癖だった。父に連れられてラグビースクールの練習を見学したことをきっかけに競技を始め、庭や公園の片隅で父にパスやキックを習った。小5のクリスマス、二人三脚の日々は突然終わりを告げた。試合で肩をケガした松田は父とともに帰宅。昼寝を始めた父は、そのまま帰らぬ人となった。くも膜下出血だった。

 松田は「負けず嫌いな性格は父のおかげ」と感謝する。大学選手権7連覇中の強豪でキッカーを不動のものとした今も、毎日納得がいくまでキック練習を重ねる。売りはランでの強気の突破だ。「いつも背中に父がついていてくれると思っているので」。けがを恐れず、突き進む。「活躍することで、父も喜んでくれていると思う」。オフには京都へ戻って墓参りをする。19年W杯日本大会出場を誓い、手を合わせる。

 力也。父がつけた名前の由来は「そのままです。力なり、です」。育ててくれた父への感謝を力に変えて、天国へ初キャップを届ける。【岡崎悠利】

 ◆松田力也(まつだ・りきや)1994年(平6)5月3日、京都市生まれ。ポジションはSO。6歳のとき南京都ラグビースクールで始める。京都・伏見工高1年と3年時にFBとして花園出場。高校、U17、U20と日本代表に選出。帝京大では1年からレギュラーとして大学選手権7連覇。181センチ、92キロ。家族は母と妹。