日本では64年東京、72年札幌、98年長野と、3回の五輪が開かれた。国内開催は時差、食事など地の利のある半面、地元の期待という大きな重圧を背負う。6年後の東京五輪・パラリンピックも空前の盛り上がりが予想される。いかに地元五輪の重圧を克服するか。直近の国内開催の長野五輪で金メダルを獲得したスピードスケート男子500メートルの清水宏保氏(40)に極意を聞いた。

<聞こえてきた声>

 約2年半の長期間にわたって、金メダルの十字架を背負った。清水氏は長野五輪の2シーズン前の95年10月、五輪代表に内定した。世界大会などの実績から金メダルを期待された。異例の措置だった。

 清水氏 「何で清水だけ」との周囲の声も聞こえてきた。重圧から逃げて練習をしなかったこともある。不安な状態が続き、眠れない日はたくさんあった。

<B’zに学んだ「五輪はライブ」>

 長野五輪シーズン直前の97年夏。重圧に苦しんでいたとき、知人に誘われ、人気ロックバンドB’zのライブに出掛けた。激しくも華やかなステージ。胸を打たれるとともに、アスリートとの共通点を見いだしていた。

 清水氏 魅せるとは、こういうことなんだと。五輪は普通の大会とは違ってエンターテインメント的な側面もある。日本で行われる大きなお祭りを自分の舞台にしてしまおうと思った。

 忘れられない光景がある。19歳で初出場した94年リレハンメル五輪。米国の英雄ダン・ジャンセンが1000メートルで金メダルを獲得した。88年カルガリー五輪から金メダル候補と呼ばれながら、92年アルベールビル五輪と連続無冠。リレハンメルでも最初の500メートルでバランスを崩し8位。ラストチャンスの1000メートルで悲願を達成した。表彰式では「ジャンセン」コールが渦巻き、世界が泣いた。

 清水氏 メダルを争うライバルだったが、悔しいではなく、感動してしまった。魅せられた。このとき、人を感動させることはすごいと。自分も感動を与えたいと思った。B ’zのライブを見て、その思いが強くよみがえった。結果がどうであれ、自分自身から感動できるレースをしようと。

<メディアとの距離>

 五輪シーズン開幕前に、気持ちの整理はついた。あとは周囲の環境に惑わされないこと。金メダル候補の場合、五輪シーズンの注目度は想像を超える。

 清水氏 原田さんとは違って、メディアに伝えることが得意ではなかったし、逆に大きなストレスだった。メディアのだれかに1度心を許せば、その線引きが難しくなる。例外を作りたくなかったから、会場では(メディアの人への)あいさつすらもやめた。徹底的に避けることで、人に気を使わず、自己中心的になれる環境を構築した。

 自らの殻に閉じこもり、競技だけに集中する。五輪シーズンは心身ともに好調をキープし、2月の本番を迎えることができた。だが、500メートルの2回目のレース直前に、予期せぬ迷いが生まれてしまう。

 清水氏 ウオームアップ中に、オランダの選手が転倒した。急に緊張感が高まり、恐怖感も芽生えてきた。心のコントロールがきかなくなり「これはまずい」と思った。

<会場支配し号砲>

 清水は1度スケート靴を脱ぎ、リンクの外に出た。そして、あおむけになり大の字に寝て天井を見上げた。

 清水氏 幽体離脱ではないが、天井から自分を見るイメージをつくった。自らを客観視すると、自分のちっぽけさが分かってくる。地球には戦争をしている場所もある中、レースのことで悩んでいる。そんなプレッシャーなんてどうでもいいと。とにかく、今までやってきたことを見てもらえばいいと楽になれた。

 心拍数は下がり、落ち着きを取り戻すと、逆に会場を支配したような気持ちになってきた。号砲が鳴る。得意のロケットスタートを決めると、他を圧倒する滑りで、日本スケート界初の金メダルを獲得した。

 清水氏 五輪は自分のライブであり、舞台であり、発表の場。しっかり準備をして最高のパフォーマンスをみんなに見てもらう。そう思えれば、五輪の重圧は消える。【田口潤】

 ◆長野五輪スピードスケート男子500メートルVTR 1回目は2位オーバーランド(カナダ)に0秒02差の35秒76(当時五輪新記録)でトップに立つ。翌日の2回目でも35秒59と五輪新記録を塗り替え1位となり、合計1分11秒35で日本スケート界初の金メダルを獲得。「日本選手は小さくて、なかでも自分は一番小さい。でも信念を持ってやればできる」と胸を張った。

 ◆清水宏保 しみず・ひろやす)1974年(昭49)2月27日、北海道帯広市生まれ。白樺学園高-日大。五輪にはスピードスケートで94年リレハンメルから06年トリノまで4大会連続出場。98年長野大会500メートル金、1000メートル銅、02年ソルトレークシティー大会500メートル銀。10年に現役引退。昨年、札幌にはり、きゅう、整骨を専門とするノース治療院を開院。スポーツコメンテーター、講師などの活動もしている。

(2014年12月10日付本紙掲載)

【注】年齢、記録などは本紙掲載時。