<1996年アトランタ五輪男子400メートル障害代表 1995年世界選手権日本人初400メートル障害ファイナリスト 山崎一彦(43)>

 現在、20年東京五輪プロジェクトチームのディレクターを務めています。あと5年、どうすれば自国開催で選手が力を発揮できるのか。そのためのプランを進めています。

 東京五輪では選手にとって東京がいつもの東京でなくなると思っています。一番窮屈なのは日本人だからという考えですね。07年に大阪で世界選手権が開催された時に、ほとんどの選手がパフォーマンスを出せなかった。期待値が高くプレッシャーとなり、自分のやろうという気持ちも強くて、いつもの地元ではなくなったんです。選手は「大阪じゃない。いつも走っているところと全然違う」と振り返っていました。同じことは繰り返せません。

 陸上は他の記録競技と違い、対人競技です。相手がいることありきでパフォーマンスが決まることが多く、大舞台での記録の達成度は高くない。100メートルのようにレーンがあっても、相手に左右される。外的な要素はかなりあるので、20年までに新しい根性論を作っていきます。ただ練習を頑張れ、練習に耐えた人が1番になるという根性論ではなく、外的な力に対して勝てる人、というある意味での根性論が大事になる。

 そこで今年1月に中高生11人を選んで「ダイヤモンドアスリート」という制度も発足しました。現時点での力のみを重視せず、将来性を見越して、海外留学などもさせます。最終的にはどこでも1人で何でもできるようにしたい。国際人としてやっていくことで、日本に帰ってきたときに東京でもどこでも大丈夫ですよ、という人たちを育てます。

 もちろん、この制度に選ばれなかった有望な若手世代も、代表候補として強化していきます。僕は、絶対にダイヤモンドアスリートにはなれない高校生でした。でも、世界選手権のファイナリストになれた。両方の道があるんです。そこで競争原理が働く。ある程度最初に決められたレールがあって、エリート街道か、雑草街道か。僕はどちらでも良いと思っています。

 将来は誰もわからない。僕らも分からない、本人も。だけども伸びそうじゃないか、託してみたいという気持ちでいます。2つの道から、20年東京五輪にどんな選手が出てくるのか、楽しみにしています。(2015年3月11日本紙掲載)

【注】年齢、記録などは本紙掲載時。