日本代表が9月8日にW杯アジア2次予選のアフガニスタン戦を戦った中立地のイラン(イラン・イスラム共和国)に初めて足を踏み入れました。

 旅程が変わり、結局テヘランに滞在したのは試合前日の7日と試合開催日8日の2日間。試合後、記事を書き上げ、1度ホテルに戻ってシャワーを浴び、荷物をまとめてすぐにイマーム・ホメイニ国際空港へ。選手たちとほぼ同時刻の便に乗り中東経由便で帰国する慌ただしい出張でした。

 出発前は大変申し訳ないのですが、正直「イラン」「テヘラン」という国名、都市名くらいしか知識がありませんでした。


 幾つかこぼれ話を。


 通貨は「リアル」といいます。1万リアルが約40円(100円が約2万5000リアル)。とにかくお札にゼロが多い上、10リアルが1トマーンと表現されるので「一体どっち??」と瞬時に変換が必要。数字に弱い私は、滞在中、まったく金銭感覚がつかめないままでした。

 イランのみなさんは日本人の私たちに優しくとてもフレンドリーでした。日本人だと分かると「ホンダ(本田圭佑)カガワ(香川真司)ナカタ(中田英寿)」と知っている日本代表選手の名前を連呼。私は「アリ・ダエイ」とかつて日本の前に立ちはだかった、同国のストライカーの名前で返すという“会話”で、国際交流? しました。

 通信環境はあまり良くありませんでした。日本と違ってサイトによってアクセス制限がかかっています。われらがニッカンスポーツ・コム(https://www.nikkansports.com/)はOKなのかアクセスできました。日本で使っているクレジットカードは使えません。

 意外だったのは、イラン人の父を持つあの有名なダルビッシュ投手のことを聞いても、返ってきた反応が「??」だったこと。“聞き取り調査”が足りなかったからなのかもしれませんが、やはりイランと米国の関係も影響しているのでしょうか。

 月並みな締めくくりになりますが、いつ、どこに行っても思うのですが、世界は広く奥深いということです。

 入国がバスケットボールのイラン代表チームと同便だったため、音楽隊の演奏とともに歓迎され、雰囲気だけは“代表気分”を味わうことができたような気がします。


 ◆八反誠(はったん・まこと)1975年(昭50)岐阜県生まれ。98年入社。名古屋でアマチュア野球や一般スポーツを担当し、06年からサッカー担当に。途中、プロ野球中日担当も兼務。14年1月から東京勤務。日本協会と横浜を担当。