日本協会と浦和は23日、浦和FW興梠慎三(29)がリオデジャネイロ五輪に出場するU-23(23歳以下)日本代表に、オーバーエージ(OA)枠で加わると発表した。興梠はリストアップされた当初は、リーグ優勝を目指すクラブを優先したいという意向を持っていたが、手倉森誠監督(48)の熱いラブコールに心が動き、代表入りを決断した。

 手倉森監督の「アモーレ」が、ついに答えを出した。23日、浦和の練習場。カメラとマイク、レコーダーが放列をなす中で、興梠は口を開いた。

 興梠 最近なかなか勝てない中で、チームを離れる決断は難しかった。でも、今の自分に足りないものを得て、もっとクラブに貢献できるようになる機会だと思って決断しました。

 21日に山道強化部長、ペトロビッチ監督に決断を伝えた。翌22日の東京戦後には、日本協会にも伝わった。興梠は「テグさんだからというのはある」と言う。

 興梠 最初は断ったんですけど、手倉森監督から直々に連絡が来て、一緒に戦ってほしいと熱く来た。それに応えたいと気持ちが変わりました。

 クラブでは前線の大黒柱。しかし「離れている間にポジションを取られるかが心配」と周囲を立てる。U-23日本代表での立場についても「目立つつもりはない。将来がある若い選手が思いきってやれるようにしたい」と控えめに言った。

 そんな興梠だが、胸に「自分はやれる」という気持ちを秘めるからこそ、ラブコールを受けた。

 興梠 ペトロビッチ監督に真っ先に相談したら「自信がないならいくな」と。その通りだと思う。岡崎とか本田とかは同い年で、昔は同じようなレベルでできていた。今は大きな差がついたような形になったけど、自分もやればできると思う部分もある。

 秘めた自負を、言葉にもにじませた。「前線でボールキープして試合をつくってほしい」という指揮官の要求に応えることで、潜在能力を世界に示す。【塩畑大輔】