プレーバック日刊スポーツ! 過去の7月1日付紙面を振り返ります。2002年の1面&最終面の特別展開(東京版)は日韓W杯決勝、ロナウドの2ゴールでブラジルがドイツを下し5度目の世界一でした。

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<W杯:ブラジル2-0ドイツ>◇決勝◇2002年6月30日◇横浜国際総合競技場

 ロナウドが決めた。ブラジルがドイツとのW杯初対決を2-0で制し、最多5度目の優勝を飾った。後半22分、同34分とエースFWロナウド(25)が、ドイツの守護神オリバー・カーン(33)の壁を突き破り連続ゴール。通算8得点で得点王に輝いた怪物が前回フランス大会準優勝の雪辱を果たした。度重なる故障、想像を絶する重圧。すべてを忘れさせる涙にくれたロナウドが、王国の歴史に新たな1ページを記した。

 ブラジル国旗を羽織り、その瞬間を待った。後半44分で交代したロナウドはベンチ横であふれるものを抑えられなくなっていた。ロナウジーニョと抱き合い涙をぬぐう。4年間の苦しくつらい道のりが脳裏をよぎる中で、優勝を告げる3度のホイッスルの音を聞いた。ゆっくり、ゆっくりピッチに歩き出した。

 「夢にまで見た瞬間だった。多くの人に喜びを与えることができた。最高にうれしい。チームのみんなのおかげだ。2年半、けがと闘ったが得点もできた、5度目の優勝をブラジルにもたらすことができた」。黄金のトロフィーにキスをした。スタンドで見守る父と妻ミレーネさん(22)に誇らしげに掲げた。何度も両手を突き上げ、ビクトリーランに酔いしれた。

 世界最高のGKカーンの壁を突き破った。後半22分。リバウドが強烈なシュートを打つと同時に猛然と走り出した。雨でぬれ、滑りやすくなったピッチで狙いは1つ。カーンがはじいたボールをまんまと蹴り込んだ。さらに34分。リバウドのスルーでフリーになると狙いすましたシュートをゴール右隅に突き刺した。優勝を決定づける通算8得点目。W杯通算12ゴールは、あこがれのペレに並んだ。表彰式では、その王様と抱き合った。

 4年前。フランスとの決勝戦前夜、突然のひきつけで病院に運ばれた。怪物が重圧につぶされ、チームは完敗。のろわれたように00年には右ひざじん帯断裂で選手生命の危機にも襲われた。苦しいリハビリを支えたのはサッカー選手でもあるミレーネ夫人とロナウジ君(2)。そしてお守り代わりの四つ葉のクローバーだった。「ここまで来れるとは思ってなかった。家族に感謝したい」。しみじみと言った。

 大会中は極力、プレッシャーを遠ざけた。仲のいいロベルト・カルロスと韓国ではカラオケ、日本でもテレビゲームのゴルフで気分転換。そしてこの日。決勝の4時間前、所属するインテルのモラッティ会長から激励の電話を受けたロナウドは「えっ、何の試合のこと?」。試合を意識せず、あえて優勝やゴールを言葉にしないことがロナウドのゲンかつぎだった。

 しかし裏を返せば、それほど背負うものが重かったともいえる。何かをしないと押しつぶされそうだった。それでも負けなかった。最高の結果で期待にこたえた。ピッチで見せた涙は呪(じゅ)縛から解き放された証しだった。「神様と、仲間が僕のためにこの日の勝利をとっておいてくれた。今のチームで僕は救世主である必要はない。そのことが僕の肩から大きな重圧を取り去ってくれた」。怪物は人間に、そして王国の英雄になった。横浜のやさしい雨が涙を洗い流してくれた。

 ◆ロナウド・ルイス・ナザーリョ・デ・リマ 1976年9月22日生まれ、リオデジャネイロ出身。70年W杯優勝メンバーのジャイルジーニョに才能を見出されプロデビュー、93年にクルゼイロ移籍。94年にPSV(オランダ)に移りいきなり得点王。96-97年にはバルセロナ(スペイン)でも得点王に輝いた。97年に当時史上最高額の約35億円でインテル(イタリア)移籍。代表は17歳の94年3月にデビュー。同年W杯メンバー入り。98年W杯では4ゴールで準優勝に貢献し、大会MVPも獲得。Aマッチ通算63試合、44得点。96、97年度FIFA最優秀選手。183センチ、77キロ。ミレーネ夫人(22)とロナウジ君(2)。

※記録と表記は当時のもの