福嶋浩子(38=フリー)が涙の初優勝を遂げた。首位から出て75と崩れ、通算5アンダー211で並んだキム・ハヌル(27=韓国)とのプレーオフに突入。1ホール目でパーとし、パーパットを外したキムを退けた。一時はゴルフをやめて、日米通算26勝の姉晃子(42)のマネジャーを務めた苦労人が、試練を乗り越えて勝ち切った。姉妹Vは日本女子ツアー史上初めてで、38歳での初優勝も歴代4番目の「遅咲きV」だった。

 キムのパーパットがカップに蹴られ、初勝利が決まると、福嶋浩は姉の姿を探した。18番グリーン脇で先に晃子が泣きだしていた。2人でしっかりと抱き合い「よかったね」と言われ、涙声で「苦しかったよ」と何度も繰り返した。

 この日も大きな試練があった。5番終了時点で2位に5打差をつけながら、逃げ切れなかった。後半になると体が重くなった。16番では長いバーディーパットが6メートルオーバー。パーパットも2メートルオーバーし、ボギーパットはカップに届かない。「今考えれば冷静じゃなかった」。まさかの4パットでダブルボギー。同時にロープの外に姉を見つけ「この苦しみ、姉は理解してくれてる」と思うと心強かった。「これが優勝争いなんだ」と知った。

 自分のゴルフ人生を「ヘビ年だけに『蛇行』です」と表現した。もともと3姉妹の中で身体能力に最も優れ、「晃子の妹」として期待を背負ったからか、17歳の時点で「勝たなきゃいけない」と思うほどパットで手が動かなくなった。24歳の時いったんプレーをあきらめた。肩の故障もあり、出場予選会に落ちた2日後に渡米、姉のマネジャーに徹した。周囲から「福嶋晃子の影になりなさい」と言われ、戸惑い、葛藤の日々だった。

 初優勝に「夢のような1週間でした」と柔和な笑みを浮かべた。それでも「ずっと姉の背中を追って来て、やっとうっすらと足元が見えてきたくらい」と謙虚さは失わない。

 前日までは「まぐれでも勝ちたい」と思っていたという。それが表彰式を終えると「『あれはまぐれ』と言われないよう。少なくとも今大会で戦った残り107人に対して恥ずかしくないよう、自覚を持ってやっていかないと」と、自分に言い聞かせるように言った。「まだ旅の途中です」とも。遅咲きの大輪だからこそ、この勝利はゴールではなく、新たな夢へのスタートとなる。【岡田美奈】

 ◆福嶋浩子(ふくしま・ひろこ)1977年(昭52)8月30日、横浜市生まれ。3人姉妹の末っ子。6歳でゴルフと出会い、13歳から本格的に始め、神奈川・白鵬女子高時代は関東女子アマなど優勝。米サンディエゴ州立大を経て、01年プロテスト受験も失敗。03年から3年間は姉晃子のマネジャーに。07年プロデビューし、一方でティーチングプロの資格も取得。162センチ、62キロ。