阪神の高橋遥人投手(29)が、投手の名家に名乗りを上げた。今季7月に支配下へ再昇格し、8月11日広島戦で復帰戦勝利。レギュラーシーズンで4勝を挙げ、CSファーストステージにも登板した。

阪神高橋遥人(2024年撮影)
阪神高橋遥人(2024年撮影)

ところで日本球界で「高橋」といえば、幾多の好投手がいる名字として知られる。

勝利数最多は、日本ハムなどで活躍した直樹の169勝だ。サイドスローからの本格派で、広島を経て移籍した西武では日本一も経験。荒武者ぞろいのパ・リーグにあって、銀縁眼鏡の知的な風貌が印象的だった。

2位は巨人などで167勝を挙げた、サウスポーの一三である。快速球とカーブを巧みに織り交ぜ、堀内恒夫とともに巨人のV9を支えた。

これに続くのが、大洋(現DeNA)で121勝の重行。スローボールを駆使し、強打者たちをほんろうした。

ほかに、東映時代の71年に完全試合を達成した善正(通算60勝)や、広島で77年に20勝を挙げ最多勝に輝いた里志(同61勝)らが球界に足跡を残した。

また、巨人を経てエンゼルスなどに在籍した尚成や、広島から09年のみメッツでプレーした建といった、海を渡った高橋もいた。

「高橋」姓投手の全勝利
「高橋」姓投手の全勝利

今季も両リーグ合わせて、6人の高橋投手が公式戦に登板した。

12勝を挙げた中日の宏斗は、防御率1・38で初のタイトル獲得。ヤクルトの奎二も8勝と奮闘した。西武のエース光成は、0勝11敗と不調に終わったのが残念だ。遥人をはじめ合わせて74試合に登板、26勝27敗、防御率は2・73だった。

歴代の高橋投手の通算勝利数は、実に1148勝に達する。計40人の投手が、延べ6148試合に登板(西武のボー・タカハシは含まず)。プロ野球が始まって以来行われた公式戦は6万6559試合だから、およそ10・8試合に1試合という高頻度だ。両リーグでフルカードが2日続けば、どこかの球場で必ず高橋投手が投げていた計算である。

とはいえ例外もある。05年に誕生した楽天は、20年間にわたり高橋という投手の在籍は1人もいない。発足初年度の05年のみ在籍した浩司捕手が、現状では球団唯一の高橋姓だ。

左から巨人高橋一三、大洋高橋重行、西武高橋光成、中日高橋宏斗
左から巨人高橋一三、大洋高橋重行、西武高橋光成、中日高橋宏斗

さらにロッテでは、高橋投手の登板は球団史上1試合しかない。55年10月13日の東映戦で、前身球団の毎日の先発マウンドに上がった幸一投手がその人だ。2イニングで打者12人に5安打を打たれ2死球、2失点で降板。二度と公式戦に出場することはなく、同年限りで球界を去った。

ロッテは99年ドラフト1位で日本通運の薫投手を指名したものの、1軍戦の登板なく引退している。

阪神でも、これまで高橋投手の目立った活躍はなかった。球団初の登板は60年9月18日大洋戦の孝明。6点ビハインドの9回に1イニングを投げ無失点だったが、チームはそのまま敗れた。同年と翌年61年に計10試合に投げたが、阪神はこの全試合で黒星を喫している。孝明は0勝0敗のまま引退した。

98年5月10日には、前広島の顕法がプロ初登板を果たす。阪神2人目の高橋投手の初陣は、1イニング無失点とまずまず。残念ながら、1軍戦の登板はこれが最初で最後だった。

初の白星は中日からFA移籍した聡文で、16年4月8日広島戦での救援勝利だった。在籍4年131試合すべてがリリーフで、計9勝だった。

阪神「高橋」の成績
阪神「高橋」の成績

阪神で先発した高橋投手は、現状では遥人ただ一人だ。状態さえよければ問答無用で抑え込む怪腕だが、シーズンを通して活躍した経験はまだない。来季こそは通年でローテーションを守り、名家の系譜にその名を刻んでほしい。

【記録室 高野勲】(22年3月のテレビ東京系「なんでもクイズスタジアム プロ野球王決定戦」準優勝)