「あのとき以来らしいで…」。試合前からデスク、記録担当がざわついていた。虎番記者の記事にもあるように、もしも開幕の巨人戦で3連勝となっていたら、あの85年以来のことだったという。

こういうデータの類いは(自分でもたまに書くけれど)正直「ふ~ん。なるほどね…」という感じのものが多い。「そんなの、たまたまだろう」と思うものがほとんどだからだ。

しかし、こればかりはちょっと違った。虎党ならお分かりだろう、85年というのは阪神史上唯一の日本一になった特別な年だ。しかも、その3連戦中には伝説の「バックスクリーン3連発」も飛び出している。そのとき以来の3連勝スタートとなれば「これは優勝、いや日本一へいよいよ吉兆やで!」と、ドキドキする試合前となった。

だけど結果はご存じの通り、敗戦、それも1点も取れない完敗。そうは甘くないというか、85年に比べれば、まだまだそんなチームではないということをあらためて実感させられた。

もう1つ、歴史を振り返る。4月9日は06年に鉄人・金本知憲が904試合連続でフルイニング出場を達成し、カル・リプケンが大リーグでつくった同記録の903試合を超えた記念日だ。レギュラークラスでも休養で試合に出ないのが当たり前になっている現在では考えられない。

その金本には少し不思議な特徴があった。味方打線が相手投手を打ち崩すような試合ではあまり打てない。しかし自軍が苦しんでいる投手を相手にすればきっちり勝負どころで快音を放つというもの。そんな頼れるところからも「アニキ」と慕われたのだ。

「チーム状態が悪くなったとき、自分に何ができるか」。闘将・星野仙一で優勝した03年、自分が意識していたのはそういうことだったと、金本はのちに明かしてもいる。

この試合、巨人先発・高橋優貴に抑え込まれたように相手の投手がよければ、どうにもならないときはあるだろう。それでも誰か1人でも「オレがなんとかしたる」という気概のある選手が出てきてほしい。そう願って試合を見ていた。

85年の猛虎打線も、アニキ金本も過去の話だ。これからのチームを背負っていくのは誰か。大山悠輔か佐藤輝明か、あるいは。勝敗、個人成績を超えて、こいつは頼れるという男の誕生を待ちたい。(敬称略)【高原寿夫】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「虎だ虎だ虎になれ!」)