衝撃的な結末にも、やはり四球がつきまとった。抑えの湯浅京己がまさかのサヨナラ被弾。ピンチを広げたのは2つの四球だった。誰でも打たれることはある。同時に四球はこわい。あらためてそれを思い知らされる最後だった。

そして阪神打線、この試合で四球が12球団トップで「200」を突破した。7回に佐藤輝明が選んだ四球が200個目。その後、ミエセスらが歩き「203」にまで伸ばした。

プロ野球でチームのシーズン四球記録は広島が18年に記録した「599」である。これはとてつもない数字だ。ここまで阪神のそれは多いけれど、それでも今のペースなら記録を上回ることはできない。

18年はカープがリーグ3連覇を決めた年である。なぜ、そんなに四球を選ぶことができたのか。当時の指揮官、緒方孝市(日刊スポーツ評論家)に、その理由を聞いてみる。

「いろいろな要素があってひと口では言えないけれど、あのときはチームが仕上がっていたシーズンだからね。それぞれが自分の役割を理解して、それをやっていたということ」

まずチームとして目指すのは打率ではなく出塁率。そこに向けて集中する。「いろいろ」というのは例えばデータ分析だ。対戦する先発投手の傾向を試合前までに割り出し「あの投手なら低めは見逃し三振でもいい」などと打者に細かい指示を出す。そこに至るまでの過程もある。

「スイングする力をつけるのは本塁打を打つためじゃないんですよ。くさい球、きわどいコース、そこに来る変化球などをカット、ファウルする。そのためには振る力がいるんです」。キャンプからの厳しい修練もそこにあったという。

「低めの見逃し三振はいい」と言うのはくしくも先日、佐々木朗希に対して指揮官・岡田彰布が出していた指示にも共通する。チームとして戦うという姿勢が当時の広島にも、いまの阪神にもあるということだ。

「なんというか派手でなく地味に勝つしね。外から見ていて、いまの阪神は当時のカープに似ているのかなと思いますよ」

岡田より11歳年下だが緒方は3連覇監督である。その視点から今の阪神の強みが見えるという。湯浅が崩れての逆転負けは確かに痛い。それでも粘り強い戦いを続けていくことができれば大きく落ち込むことはないはずだ。(敬称略)【高原寿夫】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「虎だ虎だ虎になれ!」)

楽天対阪神 9回裏楽天2死一、二塁、湯浅は小深田に右越え3点サヨナラ本塁打を浴びグラウンドにしゃがみ込む(撮影・加藤哉)
楽天対阪神 9回裏楽天2死一、二塁、湯浅は小深田に右越え3点サヨナラ本塁打を浴びグラウンドにしゃがみ込む(撮影・加藤哉)