「野球はソロバンをやるのに指を痛める恐れがある。商人には不向きの運動だ」

 大正時代初期。宇都宮商(栃木)が野球部を創部しようとした時、学校関係者から突きつけられた言葉だった。それでも生徒は屈することなく熱意を伝えて1920年(大9年)誕生させた。監督すらいないチームではあったが、創部3年目で甲子園出場をつかんでみせた。

 それからセンバツは3回出場。近年では5年前に出場し、その躍動ぶりを見て入学した生徒が多い。ただ夏は1923年(大12年)以来、甲子園に足を踏み入れていない。同校OBでもある山口晃弘監督(40)は「うちは古豪。決して強豪校とか名門ではない」。甲子園から遠ざかる現状をやゆした。

 チームは2つの改革に踏み切った。まずは野球スタイル。これまで投手力で勝負していたが、打で勝つチームを目指す。きっかけは山口監督が受けた作新学院小針監督の言葉だ。「守りのチームはある程度計算が立つ。攻撃のチームは計算ができなくて怖い」。今年から指揮するに当たって、打撃練習の時間を多めに確保。少しでも振る力をつけさせ、これに実戦形式の練習を加えて生きた球をたくさん見させた。

 2つ目は結束力を高めるために約10年ぶりに直前合宿を復活させた。金曜の練習後に校内に併設される合宿所に寝泊まりする。朝練や練習試合、夜間練習をみっちりこなして月曜の朝に解散。共同生活で選手たちの結束力を深めさせた。

 2年後の2020年に創部100周年を迎える。山口監督は「次の世代につなげられる大会にしたい」。かつての強豪校と謳われた時代を目指し、新たに歩みを進める。【山川智之】