京都国際が秋季近畿大会で4強入りし、第93回選抜高校野球大会(来年3月19日開幕)で、春夏通じて初の甲子園出場がほぼ確実となっている。99年に創部し、京都韓国学園として、外国人学校として初めて夏の大会に出場。04年に日本の高校に認可されて現校名となった。今では韓国のことや国際交流を学ぼうと多くの日本人が入学する。今は部員40人全員が日本人。秋季大会メンバー20人のうち7人が京都出身で、地元でも注目の強豪校になっている。

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センバツ出場の朗報を待ち、京都国際ナインは寒さにも負けず、暗くなるまで日々練習に取り組んでいる。校歌は前身の京都韓国学園から韓国語だ。4番を打つ中川勇斗捕手(2年)は「韓国語は授業で習っていますが、歌は難しい。春までには歌えるようにしたいですね」。夏の京都大会での勝利後などはテレビ中継で韓国語の校歌が日本語訳付きで表示される。生徒は日本語と英語、韓国語を話せるよう授業を受けている。

野球部は創部した99年に外国人学校として史上初めて夏の大会に出場。硬式初心者ばかりの12人で、1回戦では前年全国準優勝の京都成章と対戦。5回コールドの0-34で大敗した。当時の京都成章の二塁手とエースが、現在、京都国際を率いる小牧憲継(のりつぐ)監督(37)と宮村貴大部長(37)だった。

小牧監督は関大、銀行員を経て、日本の高校として認可された翌年の05年からコーチを務め、25歳で監督に就任。プロ1号は韓国からの留学生で、08年広島ドラフト4位の申成鉉(シン・ソンヒョン)内野手だった。08年秋には部員9人しかいない危機的状況もあった。

小牧監督は「昔は怒鳴ってばかりでしたよ」と、生活指導に時間を割くことが多かったという。時代に合わない上下関係などを体を張って排除し、チーム改革を推進。すると、プロを目指して日本各地から多くの生徒が集まってきた。右翼60メートル、左翼67メートルのグラウンドは練習試合もできない狭さだが、守り、特に内野守備を徹底的に鍛え、13年ソフトバンク育成3位で、現在は広島で活躍する曽根、19年日本ハムのドラフト3位上野と、守りを武器にする遊撃手を送り出した。20年ドラフトではともに育成契約ながらソフトバンクに早(はや)真之介外野手、オリックスへ釣寿生(つり・じゅい)捕手が入団した。

2年連続のプロ誕生に加え、18年夏4強、19年夏準Vと京都大会で甲子園まであと1歩の戦いを見せたこともあり、地元京都の野球少年からも進学したい高校として人気を集めるようになった。各学年20人、全寮制で、そのメンバーに入ることが憧れになっているという。小牧監督は「今は野球を教えることだけに専念できています」と笑う。

今年8月には総工費100万円で内野を砂から黒土に入れ替えた。体育コースも設立され、学校も力を入れている。そして京都3位で臨んだ秋の近畿大会では、和歌山東(和歌山2位)を1点差で振り切って4度目の出場で初勝利。兵庫王者の神戸国際大付にも1点差で競り勝ち4強入りした。中川は「2つ上の上野さんたちからいい伝統が続いていると思う。自分たちは強くないけど、全員で束になって秋は勝てたと思う」と胸を張る。センバツに出場すれば旋風を巻き起こし、京都国際の名を全国にとどろかせるつもりだ。【石橋隆雄】

〇…京都国際は秋季大会をスタメン5人が1年生の若いチームで勝ち上がった。左右ダブルエースも1年生。背番号1の左腕・森下瑠大は最速137キロの直球と曲がりの大きなスライダーが武器だ。「この冬に球速を5キロ増したい。体も大きくしたい」。秋季大会は2試合完投勝利したが、大会中に右すねを疲労骨折。今はリハビリで体幹を鍛える毎日で、年明けから投球練習を再開する予定。背番号9の右腕・平野順大(じゅんた)は最速137キロの直球とカーブの本格派で、「決め球として今、縦のスライダーを覚えています」。2人は攻撃でも中心的役割を担っている。秋はベンチ外だった武田侑人外野手、日本ハム上野の弟・楓真遊撃手らの1年生も台頭し、春のメンバー争いは激化している。

○…ソフトバンク育成4位の早と、オリックス育成4位の釣も、後輩にエールを送った。早は「僕らの最後の夏は新型コロナウイルスのため大会がなかった。僕たちの分まで頑張ってほしい」。釣は「すごくうれしい。今のチームはチーム力、団結力がある」と甲子園での活躍を楽しみにしている。

◆京都国際 1947年(昭22)に京都朝鮮中として開設された。58年に学校法人京都韓国学園に。63年には高等部が開校された。野球部は99年4月に創部。04年に日本の学校教育法第1条の認可を受ける。日韓両国から中高一貫校として認められ、京都国際中学高等学校となる。普通科のみで、全校生徒132人(うち女子62人)。所在地は京都市東山区今熊野本多山町1。朴慶洙校長(61)。