耐久(和歌山1位)が歴史の扉を開いた。
冷水(しみず)孝輔投手(2年)が1失点で2日連続完投。校名の通り厳しい試合の連続を耐え抜き、近畿4強入りで来春センバツ出場を確実にした。創立1852年(嘉永5)の超伝統校が初めて甲子園に見参する。京都外大西(京都1位)京都国際(同2位)はそろってセンバツを当確とした。
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“黒船”ペリー来航の1年前に創立された超伝統校が、170年以上の時を経て初めて甲子園に見参する。
冷水は仁王立ちで両手を突き上げた。2日間で270球を投げ抜き、最後は一直で併殺に取った。「うれしかった。校歌が流れたときに甲子園に行けると実感が湧いてうるっとした」。
10安打を浴びたが仲間の好守備にも助けられて1失点完投。3回1死満塁のピンチは併殺打で耐えた。最速139キロ右腕は「打たせてアウトを1個ずつ積み重ねようと思っていました。守って守って、粘って粘ってできたのがよかった」と笑った。
同校OBの井原正善監督(39)は県1次予選の組み合わせが決まった際「(頂点を)取りにいくぞ」と鼓舞した。1次予選から全試合、冷水に先発を託し、初の和歌山制覇を実現させた。夏の敗退から毎日続けた走り込みが実を結んだ。
井原監督は「夢のよう。先輩や先人方から受け継いでもらったことが花開いた。こういう結果につながってよかったです」と感激した。部員は19人で、全員が近隣から通学する。グラウンドは他部と共用のため、打撃や中継守備は1時間ほどしかできない。午前7時から1時間の朝練で練習不足をカバーした。
恵まれない環境でも耐えて耐えて、勝利を重ねた。冷水は「甲子園は小さい頃からの夢。今は目の前にあるので早くマウンドに立ちたい」と目を輝かせた。長い長い歴史を背負い、聖地に「耐久」の名を刻む。【村松万里子】
◆冷水孝輔(しみず・こうすけ)2006年(平18)7月30日生まれ、和歌山県海南市出身。加茂川小1年から加茂仲良しクラブで野球をはじめる。下津第二中では有田シニアでプレー。高校では1年春から背番号20でベンチ入りし、1年秋からエース。今夏の和歌山大会は初戦敗退。175センチ、78キロ。右投げ右打ち。
◆耐久 1852年(嘉永5年)に人材養成の稽古場「耐久社」として創立した県立校。野球部は1905年(明38)創部。夏は和歌山大会4強が最高。春夏とも甲子園出場なし。主な野球部OBに元阪神で虎風荘寮長も務めた梅本正之ら。バドミントン部は強豪。和歌山県有田郡湯浅町湯浅1985。戸川しをり校長。

