昨秋の近畿大会で4強入りした耐久(和歌山)が、春夏通じ初の甲子園を決めた。

同校OBで、元阪神寮長の梅本正之氏(87)が喜びを語った。梅本氏は1955年(昭30)阪神に投手として入団。引退後は長らく同球団「虎風荘」の名物寮長として、岡田彰布現監督(66)ら、多くの若虎たちを見守ってきた。

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今回はセンバツ出場本当におめでとうございます。

和歌山・津木村(現広川町)の田んぼや畑で野球を始めた私は、耐久野球部で投手だった兄陸男の影響で同校に進みました。

当時は校庭ではなく、付近のグラウンドを借りて練習していました。ライト側は狭く、打撃練習で柵越えすると球が海に落ちたものでした。近くに工場のあった、日東紡績の方々が指導に来て下さったのを覚えています。

私の在学中、夏の和歌山大会では3年連続初戦で完封負けでした。ですが、この3年間が今の私を作ってくれたのです。

自宅から学校までは15キロの道のりで、私は自転車で通っていました。街灯などなく、冬場は練習が終わると真っ暗です。車のライトを頼りにペダルをこぎました。帰り道は上り坂で、帰る頃にはヘトヘト。でもこれで足腰が鍛えられたと思っています。

当時の阪神には、耐久高校卒業の先輩が球団の経理部におられました。その縁で声がかかり、入団することができました。

耐えて、久しい。素晴らしい名前に学校を出たことを誇りに思います。甲子園でその名を、全国の野球ファンに知らせてほしいと願っています。【聞き手=高野勲】

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