高校野球、横浜高で甲子園春夏5度の優勝を誇り、通算でも51勝をあげた渡辺元智(わたなべ・もとのり)氏が死去したことが17日、分かった。81歳だった。神奈川県出身。
高校野球界で一時代を築き、松坂大輔ら数多くプロ野球選手を育てた名将だった。選手としては横浜高で中堅手。同期には後に2人三脚で横浜を強豪にした小倉清一郎(元横浜高野球部長)がいた。自身は神奈川大に進んだが故障でプレーを断念。それでも65年に母校の野球部長に就任し、68年からは24歳の若さで監督に就いた。
指導者としてのキャリアが凄まじかった。73年には春の選抜で優勝。80年には愛甲猛を擁して夏では初の全国制覇を果たした。小倉部長とコンビを組んでからは、98年に松坂を主戦に初夏の甲子園、明治神宮大会、国体と4冠で公式戦年間無敗のチームを作り上げた。甲子園通算では春15回、夏12回の出場で5度の優勝。51勝22敗の戦績を誇った。
28年が経過した今でも甲子園の偉大なドラマとして語り継がれる「松阪の伝説」を当時の記事とともに振り返る。
【決勝(1998年8月22日) 京都成章戦 3-0 ノーヒットノーラン】
すごいぞ、松坂! 5万5000の大観衆がしびれた。横浜(東神奈川)対京都成章(京都)の決勝。横浜のエース松坂大輔(3年)がノーヒットノーランの快挙で春夏連覇を決めた。無安打無得点試合は今大会2度目で、決勝では1939年(昭14)の海草中(現向陽)・島以来59年ぶり。春夏連続Vは87年PL学園以来11年ぶり5度目だ。史上最強軍団がついに4102校の頂点に立った。
松坂は、最後の最後まで怪物だった。9回表2死一塁。超満員、5万5000人をのみ込んだ甲子園に「マツザカ」コールがこだまする。史上5校目の春夏連覇と、59年ぶりの決勝戦ノーヒットノーラン達成まであと一人。「ここまできたら三振で決めてやる」。3番田中をカウント2―2と追い込み、最後は外角低めのスライダーで空振り三振に切った。
その瞬間、松坂は両腕を天に突き上げ、くるりと1回転して喜びを爆発させた。「ノーヒットノーランよりも優勝の方がうれしい。最後の夏は納得のいく投球ができて、みんなに感謝しています」。お立ち台で声が震えていた。
実は8回、先頭打者に四球を与えたところで伝令が出た。「ノーヒットノーランを狙え」の指示だった。次打者の投前バントを素早く二封。それまでは「意識しないようにしていた」(松坂)が、こうなったらやるしかなかった。
センバツで優勝した時から全国の高校球児の目標になった。準々決勝のPL学園戦では「初めての恐怖感」を覚えた。くじけそうになったときに支えてくれたのが、小山、後藤らチームメート。17回に飛び出した常盤の決勝2ランには涙があふれた。厳しく苦しい戦いの積み重ねがファンの胸をしめつけ、そして揺さぶった。「このメンバーで日本一になってよかった。史上最高のメンバーです」と心から言えた。
この日、三振を11個奪い、春夏合計で97奪三振となった。目標にしていた「100奪三振」には届かなかったが、江川卓(作新学院)の92を抜き、尾崎行雄(浪商)と並んで歴代2位の成績を残した。甲子園年間通算11勝は新記録だ。
驚異のスタミナと精神力を見せつけた。夏の連投に耐え得るようにと、センバツから帰ってスタミナづくりの日を週3日設けた。プールは泳ぐだけでなく何キロも歩いた。競輪選手からヒントを得たのが、腰に負担をかけないで下半身を鍛えられるマウンテンバイク。学校近くの坂を何度も上り、肺活量と太ももの筋肉が見違えるようになった。ウエートトレーニングにより、背筋力は240キロから260キロにアップ。松坂は「春の時点のスタミナだったら、夏は勝てなかった。と話した。
春夏連覇のために怒られ役に徹した。センバツ直後、松坂がPL学園の上重と交換したTシャツを着て練習に現れた。「エースが浮かれていたら連覇などできない」と思った渡辺元智監督(53)は「有頂天になるな」と厳しく叱責(しっせき)。翌日から二度と着てこなかった。
また6月14日、長野で行われた松商学園との招待試合。9回までに1本塁打を含む被安打12、6失点の投球で引き分けた。帰ると渡辺監督に呼ばれ「気持ちの入っていないプレーをするな。おまえが丸刈りになって、みんなの気持ちを一つにしろ」と厳命された。その翌日、レギュラー選手全員が丸刈りになって現れた。「あの子のいいところは素直なところ。聞き分けてちゃんと実行するところが素晴らしい。まさか、最後にノーヒットノーランをやるとは……」。同監督がしみじみ語った。
◆渡辺元智(わたなべ・もとのり)1944年(昭19)11月3日生まれ。神奈川県出身。横浜高から神奈川大。選手時代は中堅手。65年に母校横浜のコーチを務め、68年に監督に就任。73年春に甲子園初出場で初優勝。夏は80年に初の全国制覇を達成した。98年は甲子園春夏連覇し、明治神宮大会、国体も制して4冠を達成。甲子園は春夏27度出場して5度優勝、歴代5位の51勝。15年夏の神奈川大会を最後に勇退した。

