<全国高校野球選手権:金沢4-2聖光学院>◇12日◇2回戦

 聖光学院(福島)のドラフト候補右腕、歳内(さいうち)宏明投手(3年)が2回戦で聖地から姿を消した。最速152キロを誇る金沢・釜田佳直投手(3年)との剛腕対決。6安打を浴び、失策絡みの4失点(自責1)で力尽きたが「魔球」スプリットで幻惑して毎回の14奪三振。1回戦の日南学園(宮崎)戦と合わせて、2試合で計30奪三振と強烈な印象を残した。この敗戦で、東日本大震災の被害が大きい東北3県の代表校が全て甲子園を去った。

 2点を追う9回裏2死満塁。同点のホームを踏めると信じていた二塁走者の歳内が、三塁を回ったところで最後の夏が終わった。整列では釜田と笑顔で握手した。だが、応援席へのあいさつを終え、斎藤智也監督(48)に肩を抱かれると、涙をこらえ切れない。「悔しいし、福島の皆さんに申し訳ない…」。試合後は目を赤くしながら気丈に振る舞ったが、控室に戻った瞬間に座り込み、号泣した。

 高校最後の試合もスプリットにこだわった。金沢打線が、打席の最も捕手寄りに立って見極めてきても、勝負球に、時に見せ球にして2回1死から6者連続三振。毎回の14Kを奪った。だが、1-0の6回に失策絡みで2失点。8回には、左打者の内角低めに投じた宝刀を2度、右前に運ばれた。「狙ったコースで相手が上」と潔かったが、疲労からか序盤は130キロ前後だった球速が、ともに124キロまで落ちていた。

 3・11。東日本大震災と福島第1原発事故に襲われた。一時帰宅を「逃げるようで後ろめたい」と拒否していたが、5日間だけ出身地の兵庫に戻った。その道中、神奈川の遠藤雅洋遊撃手(3年)の自宅に宿泊。部屋で昨夏甲子園の映像を見た。1年前の興南戦。気付けば、夜が明けていた。「震災後、野球をやめるとか一瞬も考えなかった」。逆境でも、最後の夏にかける情熱は燃え盛っていた。

 夢の日本一には届かなかった。中学1年の夏、同じ兵庫・宝塚ボーイズ出身の田中将大を擁する駒大苫小牧と斎藤佑樹の早実が戦った決勝を観戦した。延長再試合まで投げ抜いた2人を見て「甲子園に興味はなかったけど、投げたいと初めて思った」。5年後。同じ舞台で魔球を操り、大歓声を浴びるまでに成長した。

 甲子園を目指して福島に野球留学。2年春まで、試合を壊す控え投手だった。それでも、陰で支えてくれた上級生がいたことを知って泣いてから、仲間のために戦い始めた。失策絡みの敗戦も「明らかに自分のせい」と背負い込み、1回戦の日南学園(宮崎)戦で右手を負傷しても「影響はない」と言い訳しなかった。

 将来について「今は何も考えられません」と話したが、かねてプロ入りの意向を示している。上のステージを目指す魔球使いが、2戦30Kの余韻を残して甲子園を後にした。【木下淳】