<高校野球秋田大会:秋田商4-3能代商>◇24日◇決勝◇こまちスタジアム

 秋田商が大逆転劇で甲子園切符をつかんだ。2点を追う9回裏2死から、降板して右翼を守っていた近藤卓也投手が左前打で出塁。続く6番和田光平中堅手(ともに3年)が右翼フェンス直撃の三塁打を放って1点差に迫ると、相手の連続失策で一気にサヨナラ。3連覇を狙った能代商を下し、7年ぶり16度目の甲子園出場を決めた。先発の近藤は、前日23日の大曲工戦で負った右手人さし指の切り傷から出血しながらの投球。3回0/3で降りたが、バットで聖地を引き寄せた。

 予想だにしなかった幕切れに酔いしれた。大友航生三塁手がサヨナラのホームを踏むと、秋田商・近藤は深手を負った右手人さし指を天高く掲げ、仲間たちと指を重ね合って勝利をかみしめた。2年前と同じ相手に同じ舞台でリベンジ。「能代商には絶対負けたくなかった。本当に頼りになるチームメート。感謝しかない」と本音をこぼした。

 手負いのエースが口火を切った。9回裏2死。あと1人で夏が終わる。「開き直ろう」。バットを軽く振り、左前へ運んだ。「ここからだ」。5番和田は太田直監督(33)の指示通り強振。グングン伸びる白球は右翼フェンスに直撃した。本塁へ滑り込んだ背番号1はガッツポーズ。「いける」。最後は二塁から坂谷歩一塁手の二ゴロを岳田諒平がトンネル。甲子園への道が開けた。太田監督は一連の逆転劇を「奇跡。近藤がよく打ってくれた」と目を真っ赤にして振り返った。

 血染めの46球は無駄にはならなかった。前日の大曲工戦で、バントを試みた際に利き腕の右手人さし指を負傷。決戦の朝、太田監督は「右手を見て『ダメだ』と思った。でもエースって投げることが一番大事。近藤は『行けます』と言ってきた。そういう男じゃないと」と任せた。だが無情にも、初回から傷口が開き始める。ロジンで患部を覆っても血は止まらない。仕方なくユニホームでぬぐう。右太ももに塗った血痕は、回を追うごとに広がり、裾のあたりまで達した。三浦健太郎捕手(いずれも3年)のミットも真っ赤になった。4回表無死。四球に死球を重ねて降板。近藤は「まだ終わりじゃない」と右翼に下がっても諦めなかった。

 昨春から1番を背負った。昨夏、昨秋は右肘に死球を受けて降板。今春に復帰したが、独り相撲で練習試合で自滅し、ゲームを壊した。力はあるが生かし切れない。その後の全体ミーティング。太田監督は、中島敦の小説「山月記」を読み聞かせた。主人公は才能こそあるものの、努力しない怠け者。やがて慢心から、虎に姿が変わってしまうという内容だ。耳を澄ませて聞いた近藤は「自分のことのようだった」と受け止めた。指揮官も「近藤のことですよ」と戒めの意味も込め、春の公式戦には起用しなかった。その親心は土壇場で通じた。

 7年ぶり16度目の聖地。近藤は「ベスト8を目指しているんで負けられないです」。傷をしっかり治し、万全の状態で甲子園に乗り込む。【湯浅知彦】

 ◆秋田商

 1920年(大9)に創立の秋田市立高。野球部は22年創部。部員64人。全校生徒716人。春は6度出場し、60年に4強。夏は7年ぶり16度目。最高成績は8強。OBはヤクルト石川や総合格闘家の桜庭和志ら多数。所在地は秋田市新屋勝平台1の1。進藤隆校長。◆Vへの足跡◆2回戦6-1仁賀保3回戦3-0横手清陵学院準々決勝1-0秋田工準決勝3-1大曲工決勝4-3能代商