<全国高校野球選手権:中京大中京11-1花巻東>◇23日◇準決勝

 155キロ左腕が涙で甲子園を去った。花巻東(岩手)の菊池雄星投手(3年)は背筋痛のため準決勝中京大中京(愛知)戦の先発を回避したが、3点リードされた4回2死満塁のピンチでマウンドを託された。抑えれば反撃ムードの盛り上がる場面だったが、激痛のため威力の半減した直球を痛打され、走者一掃の左翼線三塁打でダメを押された。今春のセンバツで準優勝し、東北勢初の優勝を期待されたが、大会中の故障で本来の力が出せない悔しい敗戦となった。

 何も見えなかった。あふれる涙。仲間に手を引かれ、菊池は相手ナインとの整列に加わった。くしゃくしゃの顔を、精いっぱい笑顔に変えた。声を振り絞り、ライバルと健闘をたたえ合った。「自分がベストの状態だったら…日本一に…なれたと思います。痛かったですけど…悔いのないピッチングは…できました。悔いは…ありません」。試合後のインタビューでも、涙は止まらなかった。万全な状態で戦えることができなかった自分への、悔しさでいっぱいだった。

 4回、先発吉田と2番手の猿川がピンチをつくった。3点リードされた2死満塁、菊池がマウンドに走った。球場全体から拍手と歓声がわき起こった。しかし、呼吸をしただけで痛みの走る体ではボールも走らない。2球目に投じた139キロの外角直球を、完ぺきにはじき返された。この日唯一の直球。走者一掃の左3点三塁打を浴びた。

 痛みをかばうように、振り下ろす左腕は下がった。5回にはスライダーを右中間スタンドに運ばれた。「背中が痛くて直球が投げられなかった」。中継ぎならと思って起用した佐々木監督も「痛みのあるしぐさをしていたので、これ以上は投げさせれられないと思った」と判断し、再び猿川に代え、菊池は左翼に回った。次打者の打球が飛んできた。だが、体が動かない。バウンドする打球を処理するのが精いっぱいだった。

 2日に神戸入りした直後に背筋痛を発症し、21日の準々決勝明豊戦で悪化させて途中降板した。翌22日は高校生活最後となる仲間との練習を欠席してまで、回復に努めた。夜は枕元でボールを握り締めながら「神様、投げさせてください」と何度もつぶやいた。しかし、痛みは引かなかった。それでも、何もせずにいられなかった。試合が始まると、1回裏に早速ブルペンに走り、肩をつくった。

 「腕が壊れてでも最後まで投げたかった。エースとして、最後までマウンドにいられなくて申し訳ないです…」。わずか11球で終わった最後の舞台。それでも菊池にとってはかけがえのない時間だった。

 高校生活の始まりは運命的だった。学校の男子学生寮「雄風寮」に入寮。名前と同じ「雄」が入っており「うれしかった。運命的なものを感じた」と言う。かつて学校関係者が中国に旅行した際、現地で虎が描かれた掛け軸を購入した。寮の名前は「雄々しい虎のように、若者にも力強く育ってほしい」という願いを込めて命名された。寮の屋根裏で眠る猛虎に見守られながら、菊池は全国の注目を集める左腕に成長した。

 「日本一にはなれなかったけど、チームのまとまりは日本一だと思う。胸を張って、岩手に帰りたいです。甲子園は、やればできるということを教えてもらった、最高の舞台でした」。「大旗の白河越え」は果たせなかった。それでも20日の3回戦東北戦では自己最速155キロをマークし、痛みに耐えながら常に前を向き続けた菊池は甲子園の主役だった。【由本裕貴】