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ニッカンの名物連載「伝説」が本に! 山田久志編


77年、西宮球場正面でポーズをとる山田久志
77年、西宮球場正面でポーズをとる山田久志

 吉田義男が、山田久志がユニホーム時代を熱く振り返った。昭和のプロ野球黄金期を飾ったスターたちに光を当てたコラム「伝説」は今春まで日刊スポーツ西日本に掲載されていた。このたび関西プロ野の話題を再編集して新書「感涙! ナニワの野球伝説」になって甦った。日本全国にフィーバーを巻き起こした85年阪神日本一を始め、杉浦血染めの日本シリーズ4連投やザトペック村山のマウンドの涙など、プロ野球ファンの宝が一冊に凝縮されている。取材裏話を絡めて新書のエッセンスを綴った「メイキング・ザ・伝説」をニッカンコム読者にお届けする。初回は山田久志編。



 第二章 熱い男たちで登場する「サブマリン」山田、東北人の粘りは日刊スポーツ評論家山田久志の素顔にアマ野球担当の堀まどか記者が迫った。大阪日刊スポーツ(現日刊スポーツ西日本)の2008年1月22日付けから2週間に渡って掲載された。

 山田をはじめ、社会人時代の監督、阪急のフロントで要職に就いていた人物や、山田の成長を見届けたスコアラーらを精力的に取材した。伝説は毎週火曜付から土曜付まで5回を2週間掲載するのが基本パターンだ。編集局と野球部の担当デスクが中心となり、半年単位でのスケジュールを組む。2~3カ月前に指示を受け、堀の場合、担当のアマ野球とプロ野球の助っ人業務を行ないながら合間を縫って取材した。

 富士鉄釜石時代の恩師中谷正人監督は関東在住。サブマリン山田誕生のキーマンと聞いて堀は東京へ飛んだ。「40年以上前の出来事を鮮明に覚えておられました。山田さんの潜在能力に注目していた阪急スカウト陣の慧眼を褒めておられましたね」。本書に書いているように山田氏は68年のドラフト直後に腰を痛める。丸尾スカウトに隠さず話すと、阪急は治療に専念できるよう半年間待ち、夏に入団発表を行なった。

 堀は仕事柄、スカウト賛歌を聞くと嬉しくなる。阪神、近鉄で活躍した故河西スカウトを始め、深く広い人脈を持つ。日頃からスカウト稼業の苦労を聞いているだけに評価されると自分の事のように表情が緩む。

 記者たちは取材を終え、A4ノートに記した取材者の談話を振り返りながら原稿をパソコンで打つ。描きながら、思わずこみ上げてくるものがある時がある。堀の場合、147ページ前後に記した71年日本シリーズの「王にサヨナラ3ラン被弾」だった。

 父を早くに亡くしていた山田は、晴れ舞台を見せようと、故郷秋田から母ヨシを後楽園球場のスタンドに招待していた。球界最高の舞台で地獄に突き落とされた息子を母はどんな思いで見ていたのか…。

 山田「あれから母は野球を観なくなった。オールスターなら勝敗に関係ないから観においで、といくら言っても2度と球場に来ることはなかった」。

 母の愛情と同時に球界の父の慈愛も記している。マウンドでうずくまる山田を三塁側ベンチから監督の西本幸雄が迎えに行った描写だ。西本にとっても悲願の日本一が遠ざかっていくショックな敗戦だったはずだ。観衆が興奮して総立ちの後楽園の中で、誰よりも山田の事を思う男が西本だった。

 西本「誰かが行かんとあかんやろうと思って、マウンドに行った。ヤマがその場から動けない心情も、ようわかっていた。慰めてやらなあかん。励ましてやらなあかんと思っていた」。

 西本は王敬遠の手もあったが、次打者との比較や王の調子を考えて勝負を選択した。宿舎に帰ってから西本は考える。王が山田のアンダースロー投球にタイミングが合っていなかったのは無走者のケース。走者2人のセットポジションでは全く別のタイミングになっていたことを今でも悔やんでいる。

 日本シリーズを含めると897本塁打を放っている王貞治の5本の指に入る劇的な一発。しかも巨人軍の聖地後楽園で掛けたアーチは、勝者側から語られる華やかなシーン。だが180度違う敗者側にこそ人の心を打つドラマがあったことを本書は浮き彫りにしている。(敬称略)

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