日刊スポーツのニュースサイト、ニッカンスポーツ・コムです。


  1. インフォメーション
  2. 伝説

野球ニュースのRSS

  1. トップ
  2. 第1回
  3. 第2回
  4. 第3回
  5. 第4回
  6. 第5回

ニッカンの名物連載「伝説」が本に! 関西球界の重鎮編


81年、勇退する西本幸雄監督(右)は涙ぐむエース鈴木啓示から花束を受け取る
81年、勇退する西本幸雄監督(右)は涙ぐむエース鈴木啓示から花束を受け取る

 藤村富美男、村山実、近鉄バファローズ編の核となる西本幸雄ら関西の球界を代表する選手、指導者たちの編を担当したのがベテラン記者の浅岡真一だ。愛称ゴキブリ。色が黒くて好奇心旺盛。いつもどこかで何かをかぎ回っているイメージが強い。名付け親は近鉄の故梶本取締役とも言われている。
 旧大阪日刊の愛読者ならご存じかもしれないが、高岡凡太郎氏の4コマ漫画「一発ギャグ転」に小柄で色浅黒く、耳の上に触覚のあるキャラクターのモデルだった。吉田監督、掛布、岡田ら主力選手の横に寄り添い、M字型の口を歪めてニュースに食いついている姿は、まさにゴキブリそのものだった。

 かつて梨田昌孝日本ハム監督が明かした。「浅やんとは兄弟みたいな付合いだから…」。…を補足すると「何を書かれても文句は言わない」だ。記者としてある意味で最高の褒め言葉でもある。人生の師と仰ぐ西本幸雄氏の信頼も厚い。
 駆け出し記者の頃、79、80年の近鉄リーグ連覇を取材した。他紙の記者は威厳のある西本監督になかなか1対1で話が聞けない。浅岡はひるまずに突撃取材を敢行した。最初はなかなか相手にしてもらえなかったが、熱意が通じていつしか本音を話してもらえる仲になった。

 他紙の専属評論家だが、阪神のマウイキャンプ取材時には時に西本氏と相乗りで球場入していたほどだ。西本氏を頂点とする親交の和は広がり続けた。教室の愛弟子とも言える梨田昌孝、羽田耕一を始め、阪神真弓明信監督ら昭和28年生まれで集まる28会(ニッパチ会)のメンバーとも交流がある。

85年、リーグ優勝後、甲子園に凱旋し場内一周するタイガースナイン
85年、リーグ優勝後、甲子園に凱旋し場内一周するタイガースナイン

 85年の阪神日本一時は担当記者としてチームを追った。バース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発を始め、猛打で黄金期の広島カープや巨人と優勝争いを演じた。9、10月にスパートし、10月16日のヤクルト戦に引き分けて21年ぶりのリーグ優勝を決めた。個性派集団を率いた吉田監督が感激に浸ったのはV決定の6日後だった。ようやく本拠地甲子園に戻ってきた巨人戦の試合後、ペナント授与等のセレモニーが行なわれた。最後にグラウンドを一周し、ファンの声援や感謝の絶叫を聞いた時だった。新書のコメントを再録する。

 吉田 あのコールを聞いて涙があふれてきました。あれを号泣と言うんでしょうな。歩き始めてから、ベンチへ戻るまで、いやベンチに帰ってからも(涙が)止まらなかった。こんなに喜んでもらえるのか、感謝までしてくれるのかと。すぐに記者会見に臨むことができなかった。一生忘れられない時間ですからね。

 翌86年年3位、87年には最下位に沈み、吉田監督はユニホームを脱ぐ。以降、星野フィーバーに沸いた2003年まで阪神は低迷を続けた。浅岡はタイガースの栄枯盛衰をネット裏記者席から見続けた。親交の深かった久万オーナー逝去の報を聞いた時「もう一度お会いしたかった」と悔み、落涙した。優れた人物や純粋な行動には理屈抜きで惚れ込んでしまうのが浅岡。定年後嘱託として後輩記者たちに暖かい眼差しを送り続けているが、四半世紀の時を経て、ようやく活字に出来るエピソードを懐に沢山抱えている。そんな中で、もう取材対象者に迷惑がかからないと判断した挿話を本書にはちりばめている。

 お買い求めはこちら。【朝日新聞出版社のページへリンクします】













日刊スポーツ購読申し込み 日刊スポーツ映画大賞