メジャーリーグ史に残る「世紀の一瞬」からちょうど50年、大谷が新たな歴史を刻むでしょうか。

ドジャース大谷翔平投手が待望の初ホームランを打ちました。開幕9試合41打席目の1発が出るまでファンをやきもきさせましたが、22年にヤンキースの主砲アーロン・ジャッジは開幕54打席でわずか1本塁打にもかかわらず、最終的にア・リーグ新記録の62本塁打をマーク。大谷もこれからエンジン全開といきたいところです。

メジャーリーグにとって4月8日(日本時間9日)は特別な日です。1974年4月8日、ブレーブスのハンク・アーロンが通算715号本塁打を放ち、不滅と言われたベーブ・ルースの通算本塁打記録を更新。「ルースの神話」を超えた歴史的瞬間から、ちょうど50年だからです。

アーロンは1954年、最後のニグロリーグ出身大リーガーとしてデビュー。まずミルウォーキー、そしてアトランタに本拠地移転したブレーブスで華々しく活躍。メジャー史上初めて通算500本塁打&3000安打を達成するなど、20年間にわたってスーパースターの地位を守り続けました。

しかし、73年のシーズンが終わりに近づくと一躍、大きな注目を浴びました。伝説の本塁打王ルースの通算714本塁打に、刻々と迫っていたからです。7月21日にルースに次ぐ史上2人目の通算700号を達成しましたが、シーズン終了時点でルースの記録にあと1本足りませんでした。

そのオフ、マスコミとファンからの重圧がアーロンにのしかかりました。白人のルースに対し、黒人のアーロンが大記録を破るのは許しがたいとして、47年に初の黒人大リーガーとなったジャッキー・ロビンソンと同じように、誘拐をほのめかす脅迫状や人種差別むき出しの手紙などが絶えませんでした。

それでも、74年シンシナティでのレッズとの開幕戦で、アーロンはルースの記録に並ぶ通算714号ホームランを打ちました。

4月8日、本拠地アトランタのフルトンカウンティスタジアム。4回裏無死一塁という場面でドジャースの左腕アル・ダウニングに対し、アーロンの打球はレフトに高々と上がり、外野フェンス向こう側のブルペンへ。ついにルースの記録を塗り替える通算715号本塁打を放ちました。

花火と大歓声の中、アーロンはベースを1周。本塁でチームメートに出迎えられ、両親と抱き合いました。米東部時間で午後9時7分、偉大なルースをアーロンが超えた歴史的瞬間。メジャー史上における「世紀の一瞬」として語り継がれています。

当時、私は在日米軍向けFEN放送でラジオの実況を聴いていました。時が経つうちに記憶の中のシーンはぼやけるかもしれませんが、彼のバットが球を打った瞬間に鳴り響いた音の記憶を忘れることはありません。栄誉をたたえる大観衆の声が、滝のように押し寄せたのを今でも覚えています。

その後、アーロンは通算755本塁打まで記録を伸ばし、現役引退しました。しかし、2007年にバリー・ボンズ(ジャイアンツ)が新記録の通算762本塁打をマーク。ボンズは薬物使用をめぐる偽証罪などで起訴され、記録は抹消されないものの、多くの人々はアーロンこそ「真の本塁打王」と評価しています。

99年にメジャー機構は、アーロンの通算本塁打記録更新から25周年を記念し、ア、ナ各リーグで最も優れた打者に贈られる「ハンク・アーロン賞」を創設しました。昨年は日本選手初のホームラン王に輝いた大谷が初受賞し、大きな話題となりました。

あの「世紀の一瞬」から50年。最大の栄誉であるアーロン賞に輝く大谷には、賛辞を贈るような特別な一打を期待したいものです。

【大リーグ研究家・福島良一】(ニッカンスポーツ・コム/MLBコラム「福島良一の大リーグIt's showtime!」)