5年前の2015年5月10日、レッドソックス上原浩治投手が日米通算100セーブ目を挙げ、史上8人目の「100勝100セーブ」を達成した。過去の達成者は江夏豊(西武)山本和行(阪神)斉藤明夫(横浜)大野豊(広島)郭源治(中日)佐々岡真司(広島)斎藤隆(楽天=日米通算)。また巨人に復帰した18年には日本人投手では史上初の「100勝100セーブ100ホールド」も達成した。

【復刻記事】

レッドソックス上原浩治投手(40)が日米通算100セーブを達成した。ブルージェイズ戦で3点リードの9回に登板。無安打無失点で締めて今季6セーブ目を挙げ、節目の大台に到達した。日米通算での「100勝&100セーブ」は楽天斎藤隆に次いで2人目で、日本プロ野球では過去6人が達成。このうち、先発で100勝以上したのは江夏と佐々岡だけで、上原が史上3人目となる。

5日ぶりの登板でも、いつもと変わらない上原だった。3安打を放っていたコラベロに対し、代名詞のスプリットを3球続けて空振り三振。2死から四球を出したものの、最後もスプリットで内野ゴロに仕留めた。チームの連敗を3で止める、節目の100セーブ目に「(個人記録は)通過点でしか捉えていないが、うれしい気持ちに変わりはない」と、ほおを緩めた。

直球は140キロ台前半だが、ストライクゾーンの四隅にピンポイントで投げ分けるコントロールを武器に三振の山を築いてきた。多様な統計で選手を評価する米球界。上原は奪三振を与四球で割った制球力を示す指標で高い数字を残している。ワールドシリーズを制覇した13年は「11・22」でア・リーグ1位。その年のセーブ王、J・ジョンソンの「3・11」と比較しても数値は突出していた。今季も12三振に対し、与えた四球はわずか1。40歳になっても、かげりは見えない。

先発として華やかなキャリアを持つ右腕が、大リーグでは新たな役割に挑んだ。度重なるケガなどの影響もあり、10年からリリーフへ転向。時には敗戦処理も経験し、ゼロから信頼を築き上げた。転機はレッドソックスに移籍した13年だった。シーズン途中に抑えに指名されて21セーブを挙げ、ポストシーズンでも大活躍。オバマ大統領から「コージ」と名指しで称賛されるまでになった。

まっさらなマウンドに固執することなく、チームから求められた場所で投球術を磨き続けて17年目。勝利数に続きセーブ数も3ケタの大台にたどり着き「地味に頑張ってきたことが数字として表れた」と素直に喜ぶ。日頃は個人記録に興味を示さない上原が「(100勝100セーブが)過去に数人しかいないということは誇りにしていい。通算200勝よりも少ないわけですから」と胸を張った。

▼上原が日米通算100セーブ(日本33+米国67)を達成。プロ初セーブは07年5月2日の中日戦(ナゴヤドーム)で記録。これで日米通算100勝、100セーブ。100勝+100セーブは日本では03年佐々岡(広島)まで6人が達成。日本人の日米通算では斎藤(楽天)に次いで2人目。上原は先発で108勝しているが(日本106+米国2)、8人のうち先発で100勝は江夏(西武=141勝)佐々岡(広島=107勝)に次いで3人目。40歳シーズンでの達成は、斎藤の39歳シーズンを超えて最年長。プロ初セーブが100勝達成後だったのは、過去8人のうち江夏に次いで2人目。

▼米大リーグで100勝+100セーブは、D・エカーズリー(アスレチックス)J・スモルツ(ブレーブス)ら過去15人が達成。15人のうち、R・ゴセージは日本でも90年にダイエーで2勝8セーブを記録。日米通算では126勝、318セーブとなる。

※記録や表記は当時のもの