元祖二刀流のベーブ・ルースの命日に、ルースのホームで聖地ヤンキースタジアムの風は、エンゼルス大谷翔平投手(27)に味方しなかった。

1948年8月16日にがんで死去したルースの命日のその日に、二刀流大谷が「1番DH」でヤンキースタジアムの土を踏んだ。大きな当たりを放ったのは6回先頭の第3打席だった。カウント1-2と追い込まれてからエース右腕ゲリット・コール(30)の6球目、高めの98マイル(約159キロ)速球をとらえ、右中間へ運んだ。

コールが「しまった」といわんばかりに思わず片足を上げた。ヤンキースの試合中継局YESネットワークの実況解説も「40号になると思った」と口々に言ったほどだった。この1本が入れば、レジー・ジャクソンが1982年に記録した、エンゼルス左打者の最多球団記録となる40本塁打に到達するはずだった。くしくも、ジャクソンは1977年から5年間ヤンキースでプレーした、ニューヨークのレジェンドでもあった。

複数の因縁がからんだ一打は、フェンスを越える前にまさかの失速。フェンス手前まで駆けてきた右翼手スタントンのグラブにおさまった。

普段なら右方向にボールが飛ぶヤンキースタジアムで、不思議にも失速した打球。マドン監督は「今夜は球が飛ばなかった。ボールが行きたくないと嫌がっているように見えた」と首をかしげた。