若手のために、道を譲った。楽天斎藤隆投手(45)が17日、仙台市内のイーグルスドームで会見を開き、今季限りでの現役引退を発表した。故障がちで1軍昇格の可能性が低くなり、若手の出場機会をつぶさないためにもとシーズン中に身を引く決断をした。指導力も高く、将来の監督候補として球団も期待。日米通算112勝139セーブの名投手が、プロ24年目でユニホームを脱いだ。

 涙はなかった。無数のフラッシュを浴びて、斎藤は柔和な笑みを浮かべた。「私、斎藤隆は今シーズンをもちましてユニホームを脱ぐ決断をしたことを皆様にお伝えいたします。今は非常に晴れやかな思いでいます」。闘志をむき出しにしたマウンド上とは違い、冷静に現役生活に終止符を打つと宣言した。

 「やめる理由が見つかった」。45歳のベテランは引退の理由をそう表現した。今季の1軍登板はわずか2試合。今もなお球速は140キロを超えるが、登板後の回復が追いつかずに連投が利かない。ふくらはぎ痛などの故障もあった。「もっとボロボロになるまで行くことも、可能だったかもしれない」と現役に固執することもできた。13、14年は連続で30試合以上登板を達成。チームに貢献できていると自負があった。しかし戦力になれず、「シンプルに答えを見つけた」と身を引く決意が自然と湧いた。

 後進に道を譲る覚悟もできた。20代が中心の投手陣。声をかけ、飲みに誘った。楽天移籍1年目には則本にフォークを教え、守護神に転向した松井裕には体のケアの方法を伝授した。ブルペンの精神的な支柱として、経験を惜しげもなく伝えた。だからこそ「戦力にならず、彼ら(若手)のチャンスをつぶしているという思いもあった。しかし、あえての鈍感力を持った。分かっても分からないふりをして、やれることを突き詰めてやってきた。でも無意識に託す物が出た」と選手としての未練より、若手指導の責任が勝った。

 球団は人望の厚さ、指導力を評価し、将来の監督候補として期待。引退試合は未定だが、13年日本一の功労者に最大限の敬意を払う準備をしている。斎藤は「お世話になった分を恩返しすることはお約束します。今はゆっくりしたい。温かく見守っていただけたら」と笑顔で話した。当面は休養する予定。いつか指導者として帰ってくる日を皆がのぞんでいる。【島根純】

 ◆斎藤隆(さいとう・たかし)1970年(昭45)2月14日生まれ、仙台市出身。東北高、東北福祉大を経て91年ドラフト1位で大洋(現DeNA)入団。96年に奪三振王(206個)。98年は日本シリーズ第2戦で西武を完封。06年にドジャースとマイナー契約し、同年4月に初昇格。最初のセーブ機会から48回中45度の成功を収め、大リーグ新記録を樹立。07年は39セーブを挙げてオールスターにも出場。ド軍で06、08年、レッドソックスで09年、ブルワーズで11年と、プレーオフには計4度出場。プレーオフ通算は10試合に登板し1勝0敗、防御率1・69。今季推定年俸は6000万円。188センチ、90キロ。右投げ左打ち。