横浜(現DeNA)、近鉄でリリーフとして活躍した盛田幸妃氏が16日、横浜市内の自宅で死去した。45歳だった。詳細は明らかにされていないが、ここ数年はがんで入退院を繰り返すなど、闘病生活が続いていた。盛田氏は現役時代に脳腫瘍の摘出手術を受けながら復活し「奇跡のリリーバー」と呼ばれた。

 「奇跡のリリーバー」が、永遠の眠りについた。16日午前、横浜市内の自宅で家族にみとられたという。ここ数年は、がんで入退院を繰り返す闘病生活が続いていた。

 病気と闘った人生だった。近鉄時代の98年に脳腫瘍の摘出手術を受けた。復帰は危ぶまれていたが、懸命のリハビリで克服して翌99年に1軍マウンドに戻った。01年にはファン投票で球宴に選出されて「カムバック賞」を受け、リーグ優勝にも貢献した。右足首に後遺症がある中、02年で引退するまで投げ続けた。

 引退後は評論家として活躍するも、がんで闘病生活を余儀なくされた。度重なる手術や治療に追われながらも、持ち前の明るさは失わず人前では病気を笑い飛ばしていた。指導者として現場復帰する夢を持ち、病気と闘うモチベーションにしていた。ブログに自らの病状を記し、病気に苦しむ人にエールを送ることも多かった。ただ、ブログも昨年4月26日が最後の更新で、入院の報告をした上で「何とか、生きます 心配かけてすみません またね」と結んでいた。

 盛田氏は92年に主に中継ぎながら規定投球回に到達し14勝6敗2セーブ、防御率2・05で最優秀防御率のタイトルを獲得した。抑えの佐々木主浩氏(日刊スポーツ評論家)へつなぐ役目を担い「ダブルストッパー」として人気を博した。シュートを武器に打者の胸元へ強気に攻める投球スタイルは、時に死球騒動を起こすほど徹底していた。

 私生活では豪快に酒を飲み、ジョークを口にして周囲を笑わせた。盛田氏の周りは笑顔が絶えなかった。この日もかつてのチームメートが自宅を訪れ、盛田氏との別れを惜しんだ。

 ◆盛田幸妃(もりた・こうき)1969年(昭44)11月21日生まれ。北海道茅部郡鹿部町出身。函館有斗(現函館大有斗)時代に春夏合わせて3回甲子園に出場。87年ドラフト1位で大洋(現DeNA)入団。シュートを武器にリリーフに回った92年は最優秀防御率を獲得した。96、97年開幕投手。97年12月、中根仁とのトレードで近鉄移籍。98年9月、左頭頂部にできた脳腫瘍の手術を受け、01年6月13日ダイエー戦で1082日ぶり勝利を挙げた。同年カムバック賞受賞。02年限りで引退した。オールスター出場3度。現役時代は186センチ、89キロ。右投げ右打ち。94~97年の登録名は「幸希」の字を使った。