脳腫瘍から再起を目指す阪神横田慎太郎外野手(23)が、復活への思いを改めて強くした。10日、大阪府内の病院を高山、熊谷とともに慰問。入院患者と触れ合い「試合に出て結果を残して、またここに来たい」と勇気をもらった。ここ2年、1、2軍で試合出場はないが、16年開幕戦の「1番高山、2番横田」を1軍で再現するため、1歩1歩、地道に練習を重ねる。

      ◇       ◇

横田はゆっくり丁寧に、1人1人にユニホームを手渡した。温かい「頑張って」の言葉に「ありがとうございます」と真っすぐな目で答える。たくさんのサインを書くうちに、手はマジックで黒くなっていた。

「いつも自分が恩返しをしたいと言っていますけど、今日は逆に力をもらった。もう1回頑張らないといけないという思いもあった。苦しんでいる方々がいっぱいいらっしゃったので、自分が試合に出て結果を残して、またここに来たいなという思いが強くなりました」

17年2月の1軍キャンプ序盤、原因不明の頭痛に襲われ、脳腫瘍と診断された。同8月に安定した状態となる「寛解」まで約半年、闘病生活を送った。今季は背番号「124」の育成契約選手として鳴尾浜での2軍戦にベンチ入り。出場機会はなかったが、ベンチから人一倍声を出した。育成2年目の来季に向け現在はキャッチボールや外野ノック、打撃練習で汗を流し、復活へ歩みを進めている。

この日ともに慰問した高山は横田の努力を知る1人だ。

「今年僕もファームで横田とベンチに入って。プレーはしていないですけど、ノックをやったり、一緒に練習をする中で、彼の頑張っている姿を見ていた。まずは僕が頑張らないと駄目ですけど、また一緒に開幕戦のような形で、2人で出られたらうれしいなと思います」

高山のルーキーイヤーだった16年は「1番高山、2番横田」で開幕した。オープン戦で3年目の横田が12球団最多22安打を放ち、高山は先発した全13試合で安打をマーク。金本監督から「あの1、2番はチームとしての看板というか、見ものでいきたい」と機動力を期待された。しかし、横田の調子が上がらず、13試合でタッグは解消。横田はこの年の38試合を最後に1軍でプレーできていない。

横田の元には当時のコンビを見てファンになったという手紙も届いている。「自分ももっともっと頑張って、高山さんに少しでも近づいて。1、2番という打順で一緒に試合に出て、結果を残したい」。来季は2軍で試合に出て支配下登録をつかみ、背番号「24」を取り戻す。そして、この日元気をくれた人たちを甲子園に招待する。【磯綾乃】

<横田の闘病経過>

▼16年 開幕スタメンなど1軍戦38試合に出場。

▼17年2月11日 沖縄・宜野座1軍キャンプを頭痛のため離脱。検査の結果「脳腫瘍」と判明。入院、加療し、順調に回復。

▼8月30日 最終検査を行い、担当医から症状が消え安定した状態となる「寛解」と診断された。

▼11月16日 育成契約を結ぶ。背番号が「24」から「124」に変更。

▼18年2月 高知・安芸での2軍キャンプに参加。16日には練習復帰後初の屋外ロングティー打撃、17日にはフリー打撃を行った。 

▼4月10日 2軍ソフトバンク戦で2年ぶりにベンチ入り。出番はなかったが声出しなどで仲間を鼓舞。

▼11月15日 170万円ダウンの推定年俸700万円で契約更改。「1日も早く背番号24を取り返したい」と意欲を見せた。

◆横田慎太郎(よこた・しんたろう)1995年(平7)6月9日生まれ、鹿児島県出身。父真之さんはロッテなどに在籍した元外野手。鹿児島実から13年ドラフト2位で阪神入団。3年目の16年3月25日開幕戦の中日戦に「2番・中堅」でスタメンに抜てきされ、1軍戦初出場した。187センチ、89キロ。左投げ左打ち。