阪神矢野燿大監督(50)が17日、阪神・淡路大震災で甚大な被害を受けた神戸市長田区で行われた「神戸震災復興フリーライブ」に参加し、観衆500人に被災地での優勝パレードを誓った。神戸でのVパレードは星野監督時代の03年が最後。「ファンを喜ばせる」をモットーに掲げており、頂点への思いを強くした。

矢野監督が日常をかみしめ、被災地で頂点を誓った。阪神・淡路大震災の復興イベントで登壇。午後5時46分に黙とうした。阪神監督として初めて迎えた「1・17」に訪れたのは、倒壊や火災で甚大な被害を受けた神戸・長田区だ。男性に「3年以内に優勝を」と声を掛けられるとうなずく。

「今年、優勝を目指していきたい。(前回優勝の)05年から、かなり時間がたって、かなり、お待たせしています。神戸でパレードできるよう、頑張ります」

「ファンを喜ばせたい」をモットーに掲げ、優勝は悲願だ。神戸でのVパレードは星野監督時代の03年が最後で、雨が降るなか、御堂筋と同日開催。三宮には約25万人が集まり、喜びを分かち合った。指揮官は当時を振り返り、強調する。

「震災で大変な思いをされた方も来てもらって、その瞬間を一緒に喜び合える。(03年も)パレードは一番、感動的だった」

95年1月17日。矢野監督は中日5年目の26歳だった。名古屋にいて、強い揺れを感じた。大阪の実家は電話がつながらず、火の手が上がる神戸の街がテレビに映る。関西遠征は芦屋が宿泊先だった。「マンションが倒れたり。1階に駐車場があるところは2階がつぶれて、車がペシャンコになってるとか…」。当時の惨状を思い起こした。

あれから24年。ぐにゃりと曲がったJR新長田駅は復旧し、ビルも並ぶ。震災の傷痕は見えにくいが、指揮官は言う。「(復興が)進みにくいところもあるとお聞きした。僕らが簡単に『頑張ってください』と言えることではないかもしれないけど、僕らは野球しかできない。野球を通じて、何か感じ取ってもらう、頑張ろうと思ってもらえるようなものを見せていく」。鉄人28号モニュメントがそびえ立つ街で、また気持ちが前へと向いた。【酒井俊作】