感謝を胸に、悔いなくユニホームを脱ぐ-。脳腫瘍からの復帰を目指していた阪神横田慎太郎外野手(24)が22日、西宮市内の球団事務所で会見し、今季限りでの引退を表明した。13年ドラフト2位で入団し、3年目の16年に開幕スタメンで1軍デビュー。将来の主軸と期待されたが、17年2月に病気が判明。半年間の闘病から復帰し、18年には育成契約を結んで再起を目指してきた。後遺症による視力への影響で、涙ながらに引退を決断した。

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背番号124のユニホーム姿で会見に臨んだ横田。表情は凜(りん)と、勇ましかった。「今シーズンでユニホームを脱ぐことを決めました。自分の決めたこと。全く後悔はありません」。闘い抜き、やりきって下した決断だった。

プロ3年目の16年開幕戦に2番中堅でデビュー。大型外野手として期待されたが、17年2月のキャンプ中に脳腫瘍が判明した。半年間の闘病後、症状が消えて安定した状態となる「寛解」と診断された。18年には育成契約を結び、リハビリの日々を送ってきた。ただ、後遺症で球が二重に見え、打撃と守備で影響があった。「1球もボールがきれいに見えなかった。毎日、苦しかったですし、これが来年も一緒だったらと。もう本当につらかったので、自分で(引退を)お願いしました」と明かした。

また、大病を宣告された当時を「頭が真っ白になり今後、野球ができるのか不安ではありました」と振り返り、それでも応援してくれるたくさんの人の存在に「感謝しかありません」と言葉にした。

ここまで支えてくれた両親への思いを問われると、涙がほほを伝った。治療薬の副作用で髪が全部抜けた際「お父さんが鹿児島から、髪を丸刈りにして部屋まで来てくれた」「お母さんも仕事を辞めてまで、こっちに来てくれた」。15時間にも及ぶ大手術の後は視力が回復せず「トイレに行くにも、ご飯を食べるにも、見えないので両親の手がないといけない。本当に毎日『何をしてるんだ』と思いながら自分は入院していました。最後こうやって野球できたのは本当に素晴らしい両親のおかげ。感謝の気持ちしかありません」。目頭を押さえ、思いを伝えた。

球団から今後について話をもらっており「しっかりもう1回、両親と考えていきたい」。同じ病気で苦しむ人たちへの言葉を求められると、涙を拭って言った。「何らかの形で、少しでも良いところを見せられるように」。横田は胸を張って、第2の人生を歩み出す。【奥田隼人】