ロッテは10日、昨季限りで阪神を退団した鳥谷敬内野手(38)の獲得を発表した。

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鳥谷の去就はなぜ3月を過ぎても決まらなかったのか。もちろん、ただやみくもに現役引退という結論を先延ばしにしていた訳ではない。

もともと「オファーがなければ辞める」と話していた通り、当初は遅くとも1月下旬には進路をはっきりさせる考えでいた。

阪神退団直後から、ロッテを含めた数球団が獲得調査を開始。FA選手などの動向が落ち着いた後は、各球団から獲得の可能性について「YES」か「NO」のどちらかを選択してもらえれば、決着までそう時間はかからないと予想された。

ただ、ある球団の場合は「NO」という最終結論をもらうまでに1カ月待った。動くに動けない期間はトータルで見ても相当長くあった。

ただでさえ、レジェンドであるが故の交渉の難しさがあった。

昨季は74試合出場で打率2割7厘。38歳という年齢もあり、鳥谷は当然「いろいろ言える立場ではない」と契約年数や年俸、ポジションなどの条件面は二の次に考えていた。

一方で、早々に獲得を見送った球団の中には「鳥谷は2軍を嫌がるだろう」「この金額では断られるに違いない」と交渉する以前に内々で判断したチームもあったと聞く。昨季まで推定年俸4億円の5年契約を結んでいた事実が今回、再挑戦の足かせとなっていたことは否めない。

そんなイメージを乗り越えた後も、今度は年齢が高いハードルになった。

内野の選手層に不安を抱えるチームの監督、コーチからすれば、複数ポジションを守れてケガに強いベテランは、少なくとも「戦力としていてくれて損はない存在」といえる。ただ、現場が獲得を要望しても、若返りを図りたい編成側が首を縦に振らず、球団内で意思統一までに時間がかかり、揚げ句の果てに断られるケースもあった。

10月中旬に阪神での最終ゲームを終えてから、神経をすり減らし続けたであろう5カ月間。それでも諦めず、交渉球団から最終的な返事が出そろうまで地道にトレーニングを続けたから今がある。

2月の一時期には練習場所が見つからず、自宅ガレージで壁当て、素振りを続けて「少年の心を思い出したわ」と笑っていた鳥谷。1軍最低保証クラスの年俸からの再出発も、前向きにとらえられるだけの覚悟がありそうだ。【野球遊軍=佐井陽介】

◆鳥谷敬(とりたに・たかし)1981年(昭56)6月26日生まれ、東京都出身。聖望学園で3年夏に甲子園出場。早大に進学し、2年春に東京6大学史上最速タイで3冠王に輝くなど活躍。03年ドラフト自由枠で阪神入団。2年目の05年に遊撃の定位置を獲得し、1939試合連続出場はプロ野球2位、全イニング連続試合出場667は同5位。17年9月に通算2000安打を達成。180センチ、79キロ。右投げ左打ち。