ドラフト当日を、よく「運命の日」と言ったりする。評価が微妙な立場の候補にすれば指名されるか、されないか、が大きな問題だが、目玉候補は違う。どの球団が交渉権を獲得するのか-。

松井秀喜はそうだった。星稜の4番で甲子園を沸かせた。当時の弊紙女性記者が92年春のセンバツで「あの子、まるでゴジラですよ」と“命名”した約半年後、その日はやってきた。

有名な話だが、松井は阪神ファンだった。取材で何度もその「熱」に触れた。ある時「やっぱ甲子園でしょ? あの漂ってくるイカ焼きの匂い。たまんないっす」とかなりコアなテーマで語りだして、驚いた。

ドラフト前の指名あいさつ。阪神の編成部長や担当スカウト数人が石川・根上町の自宅に来て、帰るのを玄関先で見送った後「どんな感じだった?」と聞くと「佐野さんっすよ、佐野さん!」。担当スカウトの1人に佐野仙好氏がいた。85年のリーグ優勝を決めたヤクルト戦で、貴重な犠飛を放った人で…と説明すると、ばかにするなと言わんばかりに「知ってますよ」と返してきた。

ドラフトの数日前、学校の校門前で他の“松井番”2、3人と待っていた。学生服姿の松井は学生かばんからあるものを取り出し、自慢げに見せた。トラッキーのステッカー。「金沢の駅前で見つけたんっすよ。すごいでしょ? こっちじゃなかなかないっすよ」と、はしゃいでいた。

果たして、ドラフトでは阪神など4球団が1位で競合した。中日、福岡ダイエー、阪神、巨人の順でくじを引いた。阪神の中村監督が外した後、長嶋監督が当たりを引いた。

その数時間後、学校内のスペースを借り、記者数人で原稿を書いていると、松井がふらりと現れた。少しだけ話をした。どんな内容だったか正直覚えていない。ただ、すごくさっぱりしているように見えた。18歳の少年が大人びて見えた。「ま、仕方ないっす」と言いそうな…あ、そう言ってませんから。あくまで、私の勝手な感想です。

あの瞬間から、松井は巨人の人になった。長嶋監督の「1000日計画」から4番を打ち、ついには日本を飛び出して、メジャーでも活躍して…とどめは何と国民栄誉賞である。

勝手に妄想する。阪神に入っていたら-。左打者には厳しい浜風の甲子園で何発打っただろうか。本塁打王には…まあなったでしょう。ライトスタンドから、どんなテーマが流れ、打席に向かっただろう。球界の勢力図はどう違っただろう。ヤンキースではなく、タイガースの縦じまを、どんな風に着こなしただろう。

やはりドラフトは運命の日です。【加藤裕一】