巨人の球団代表を92~96年に務めた保科昭彦(ほしな・てるひこ)氏が15日、脳梗塞で亡くなった。88歳だった。葬儀は近親者で執り行われた。読売新聞グループ本社広報部が19日、発表した。

保科氏は法大経済学部を卒業し、1956年(昭31)に読売新聞社に入社。地方部、静岡支局、解説部次長、婦人部長などを経て、91年には取締役総務局長兼人事部長を務めた。

92年に巨人の球団代表に就任。93年は編成本部長を兼務した。94年は長嶋茂雄監督の初の日本シリーズ優勝を支え、96年1月まで代表を務めた。93年には導入されたばかりのフリーエージェント制度(FA制)で落合博満(中日)の獲得に尽力した。94年には川口和久(広島)広沢克己(ヤクルト)を獲得した。