4球団競合の末に、ドラフト1位で近大・佐藤輝明内野手(21)が阪神に入団した。日刊スポーツでは誕生から、プロ入りまでの歩みを「佐藤輝ける成長の軌跡」と題し、10回連載でお届けします。【取材・構成=奥田隼人】

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東北の祖父から父へ、父から孫へとアスリート魂は受け継がれた。阪神ドラフト1位・近大・佐藤輝明内野手(21)のルーツを紹介する。

父博信(53)は宮城県柴田郡村田町出身。生家では祖父勲と祖母美智恵(ともに81)が孫のドラフト指名に涙した。輝明は高校まで毎年、お盆と年末年始に帰省し、祖父母に「テル」と呼ばれてかわいがられた。

中学まで野球少年だった勲は大の野球好きが高じ、74年に「沼辺少年野球クラブ」を近所に結成。今も活動を続けるチームの初代監督となった。次男の博信はこのチームで野球を始め、エースで地区優勝。宮城球場(現楽天生命パーク宮城)で行われた県大会にも出場したが、味方の失策が絡んで敗戦。その夜、2人で入った風呂場で「オレ、野球はダメだわ。1人では勝てない。柔道に専念する」と打ち明けた。勲は残念がったが、野球をやめた。

博信は柔道に転向しても頭角を現した。仙台育英では3年時に全国高校総体出場、東北王者に2度輝いた。日体大では86キロ級で、後にバルセロナ五輪で金メダルを獲得する同期の古賀稔彦とともに1年時から活躍。2年時にチェコ国際で優勝、4年時には正力杯2位。副主将も務め、主将の古賀と名門を引っ張った。

勲は高校から生涯スポーツとして軟式テニスを始め、所有する敷地の一部を整地してアスファルト敷きのテニスコートを設営した。そこは輝明が小学1年から野球を始めて以降、毎年帰省するたびに祖父と孫の特訓場所となった。「帰省した時にしか特訓はできない。『休め、休め』なんて言わなかった。テルは耐えてましたよ」。勲は捕手ミットを手に、孫の女房役を務めた。輝明のプレーを見ようと、飛行機で何度も試合の応援に駆けつけた。関西学生野球リーグの通算記録を更新する14号の瞬間にも、美智恵と立ち会った。

身長167センチの勲は、輝明が阪神タイガースジュニアで当時支給された虎マーク入りのジャンパーを「小さくなったから」と譲り受けた。普段着で愛用していると明かし、「これが引き寄せたかな。また、楽しみが増えました」とプロ入りを喜んだ。

勲は金田正一らが在籍した国鉄時代からのヤクルトファン。一家3世代の夢を託した愛孫へ「まだまだスーパースターの域ではない。守備や走塁も含めてもっとやってくれないとダメだね。左の豊田(泰光)さん(元西鉄内野手)みたいになってくれれば、って感じだな」。辛口評を交えながら、往年の名選手を目標に挙げてほほ笑んだ。大観衆の甲子園で輝く日を心待ちにしながら、「テル」の勇姿をこれからも見守っていく。(敬称略、つづく)