巨人が阪神との「伝統の一戦」の、通算2000試合目を本拠地で迎える。34年創設の巨人と35年創設の阪神は、日本野球界における「永遠のライバル」として名勝負を繰り広げ、ここまでの通算成績は巨人の1093勝835敗71分け。

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【巨人戦に燃えた猛虎たち】

◆村山無念の天覧試合(59年6月25日=4●5、後楽園)天皇皇后両陛下をお迎えしての歴史的な対戦。4-4の同点で迎えた9回裏、先発の小山正明を救援した村山実が、先頭の長嶋茂雄にサヨナラ本塁打を浴びた。両陛下が球場を後にされる直前の一打だった。

◆村山涙の猛抗議(63年8月11日ダブルヘッダー第2戦=3○2、甲子園)同点の7回、救援に村山が立った。カウント2-2からの内角低めの直球は、判定ボール。村山が国友球審に「何がボールや!」と食ってかかって男泣き。抗議は実らず退場となった。

◆江夏が王から新記録(68年9月17日=1○0、甲子園)江夏豊は年間奪三振新記録を、宿敵の王貞治から奪おうと決意。4回にタイ記録の353個目を取った後、他の打者を巧みに凡打に仕留める。7回の王との対戦で、単独最多に立つ354奪三振を達成した。

◆バッキー乱闘(68年9月18日ダブルヘッダー第2戦=2●10、甲子園)先発バッキーは4回、打席に王を迎えた。1、2球目を近めに投じたことを契機に両軍総出の殴り合いに発展。バッキーは右手親指を骨折し、選手生命を縮める遠因となった。

◆小林意地の8連勝(79年9月5日=13○5、甲子園)江川卓との「空白の一日」トレードで移籍した小林繁は、古巣との対戦で目の色を変えた。4月10日の初対戦(甲子園)を手始めに、巨人戦9試合に先発登板。無傷の8勝を荒稼ぎし、巨人に恩返しした。

◆バース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発(85年4月17日=6○5、甲子園)阪神は7回、槙原寛己からまず3番バースが逆転3ラン。4番掛布雅之、5番岡田彰布もバックスクリーンへ白球を運び、伝説の3連発が完成。阪神は、日本一へ快進撃を始めた。

◆バース7戦連続本塁打(86年6月26日=6○5、後楽園)巨人王の持つ日本記録にあと1と迫ったバースは、エース江川卓と対戦。8回の最終打席で場外へと消える一撃を放った。一塁側ベンチで苦笑する当事者の王監督を横目に笑顔でベースを1周した。

◆新庄サヨナラ敬遠打ち(99年6月12日=5○4、甲子園)延長12回裏、阪神は1死一、三塁の絶好機。槙原が投じた外角への敬遠球を、新庄剛志が踏み込み三遊間へサヨナラ安打。熱狂のるつぼと化したスタンドに、お立ち台から「明日も勝つ!」と叫んだ。

◆金本右手1本で執念の2安打(04年7月30日=1●8、甲子園)前日中日戦で左手首に死球を受けた金本知憲が、インパクトの瞬間に激痛の走る左手を離し、右手だけでバットを振る打撃で2安打。連続フルイニング出場700試合の日本記録に王手をかけた。

◆鳥谷不屈のフェースガード(17年5月25日=6○1、甲子園)鳥谷敬は前日の巨人戦で死球を受け、鼻を骨折。一夜明け、黒のフェースガードをつけ平然とグラウンドへ。6回に代打に立ち、三塁ゴロに終わった。執念のプレーに球場は感動の拍手に包まれた。