さらば、超人。阪神最年長の糸井嘉男外野手(41)が13日、今季限りでの現役引退を発表し、兵庫・西宮市内のホテルで会見を行った。近大から03年自由獲得枠で投手として日本ハムに入団し、野手転向後に才能が開花。オリックス、阪神と渡り歩いて1754安打を積み上げた。涙なしで19年のプロ野球生活を振り返り、お決まりの糸井節も連発。引退試合は甲子園でのシーズン最終戦となる21日の広島戦を予定している。

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糸井はタテジマのユニホームで会見に臨み、胸を張って宣言した。「このたび、糸井嘉男は現役を引退することに決めました。今まで本当にありがとうございました。昨日泣きすぎて一睡もしてないので、今日は泣きませんのでよろしくお願いします」。カメラのフラッシュを全身に浴びながら、ジョークも交え、スッキリとした表情で話した。

年々衰えを感じ、「引退」の2文字はここ2、3年常に頭の中によぎっていたという。「みなさんが『超人超人』って呼んでくれましたけど、もう超人ではないのかなと感じて…」。そんな冗談を挟み、「成績もそうですし、打席での感覚だったり、ちょっと誤差はあった」と告白。助言を送った後輩が活躍する姿を見て「心の底から自分のことのようにうれしかったんですけど、それは選手じゃないのかなと感じました」という本音も明かした。

反骨心ではい上がった。近大から投手で日本ハムに入団。結果が出ない日々を送る中、高田繁GM(当時)から「もう糸井くん(投手では)使えないよ」と“クビ”を宣告された。その時、同GMから勧められたのが野手転向。糸井は「2、3年は(猶予を)みてください」と伝えたが「それはできない。この1年で結果を出さないと、野手も見切る」とはね返された。

「プロの厳しさを思い知らされた。そこから必死になった」。手の皮が持ち手に引っ付くほどバットを振り込んだ。努力を重ね、球界を代表する選手に成長した。「『使えないよ』と言われたときは大嫌いでしたけど、自分の力を見いだしてくださって、本当に感謝しています」。高田氏は無二の恩人的存在だった。

古傷の膝の不安を抱えながら、骨折、手術など幾多の故障を乗り越えてきた。「選手生命に関わるようなケガ、手術もたくさんしてきました。手術の痕なんて裸になれば何個もある」。だが、引退後も体は休めない。「みんな『ゆっくりしたい』とか言うんですよね? まあ、あんまりゆっくりするタイプじゃないんで。筋肥大! 筋肥大したいですね、もうちょっと。パンプアップです」と糸井節で笑いをさらった。

会見後は甲子園、鳴尾浜を訪れ、首脳陣やチームメートに引退を報告。近大の後輩佐藤輝には「もっと練習せい! 大学の後輩で、同じ左打者、体形も似てますしね。絶対に球界を代表するような選手に、絶対になってほしい」とエールを送った。「41歳まで野球ができて本当に幸せでした。もう、やり切りました」。引退試合は21日、甲子園での広島戦を予定。記録にも記憶にも残る超人が、激動のプロ野球人生に終わりを告げる。【古財稜明】

▽阪神矢野監督 野球少年がそのまま大人になったような感じだったし、ずっと野球好きだったし、ずっとうまくなりたいというのを持ちながらやっていた。超一流、第一線でやりながら最後のここ2年くらいはあいつの中ですごい我慢っていうのを経験して。偉そうに言うわけじゃないけど、人間嘉男としてね、すごく成長出来た。あいつがいろいろ耐えているとか、なんとか諦めずに頑張ろうという姿を見られたのは俺もうれしかった。俺としては、最後に一緒にやれる機会があるのでね。なんとか嘉男にいい舞台を作れるように頑張っていきたいと思います。

▽オリックス吉田正(オフに自主トレをともにし、オリックス時代の糸井の背番号7を継承) 糸井さんから『楽しく見てるわ』と連絡もいただいたので、超えることが1つ恩返しになるかなと思います。ぼくのキャリアの最初の方で、球界を代表する選手とともに過ごしたというのは大きいです。

▽オリックス中嶋監督(自身が選手兼任コーチだった日本ハム時代の同僚)身体能力のオバケみたいな選手だったですし、頭の中も脳内能力もなかなかなものを持っていたんですけど。嘉男が引退って不思議な感じがしますけど、本当によく頑張ったと思いますし、お疲れさまでした。

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