背番号55。日本の野球人にとって、大いなる頂を表す番号。王貞治がシーズン55本塁打を放った64年以降、王超えを目標に松井秀喜ら多くのスラッガーが、この畏敬の数字を背負ってきた。村上宗隆も、またその1人だった。村上が記録を更新すれば、また新たな数字が頂点の象徴となるかもしれない。背番号55を担った男たちの物語に、1つの節目が刻まれた。

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独立リーグ、日本海オセアンリーグの富山でプレーする山川晃司投手(25)は、村上の前に「55」をつけていた。14年ドラフトの3位でヤクルトに入団。「55と言えば松井さんですかね。野球界にとっても価値ある番号というか、そういう認識があったんで、うれしかったですね」と振り返る。

高卒捕手として入り、出場機会を求めて一塁と外野に挑戦。55を背負った3年間、1軍出場はなかったが「成績残せないのは自分のせい。重圧はなかったです」。17年10月、村上の交渉権を獲得した球団から背番号変更を打診された。いい選手らしいとうわさは聞いていた。「左の強打者って考えると、僕からしたら『でしょうね』って感じでした」。快く譲った。

経験したからこそ、捕手で入って三塁で定位置を勝ち取った村上のすごさが分かる。「最初はフライもまともに捕れなかったのが、日に日にうまくなっていった。僕は一塁でしたけど、それより難しいポジション。努力もすごい」。村上の背中を見て思う。「僕より全然似合ってます。うれしいですね、打ったら」。本塁打したと聞けば、今でも動画でチェックしている。【鎌田良美】

◆山川晃司(やまかわ・こうじ)1996年(平8)11月15日生まれ、福岡県出身。福岡工大城東から14年ドラフト3位でヤクルト入団。捕手ながら19年に投手にも挑戦したが、同年オフに戦力外。1軍出場なし。20年に投手としてBC・富山に入団。185センチ、88キロ。右投げ右打ち。